火垂るの墓

2008/04/11 松竹試写室
野坂昭如の同名小説を実写映画化した戦争ドラマ。
アニメ版とはだいぶ雰囲気が違う。by K. Hattori

 野坂昭如の原作がスタジオジブリで長編アニメになったのは1988年。今からもう20年も前のことだ。原作はその後、2005年にテレビドラマにもなった。今回の実写映画は、3度目の映像化ということになる。

 今回の映画では、幼い妹・節子とふたりで生きようとする主人公の少年・清太の周辺に、印象的な3人の男たちを新しく配置している。ひとりは清太の境遇に同情し、援助の手を差し伸べようとする中学校の校長先生。もうひとりは病気のため徴兵検査で不合格となったのをいいことに、若い戦争未亡人の部屋に入り浸って怠惰な暮らしを続ける学生・高山。そして防火訓練で町内の婦人たちを陣頭指揮する町内会長だ。この3人の男たちはそれぞれ、戦争という狂った時代の中での「理想」と「本音」と「偽善」をそれぞれ象徴している。そしてこの物語の中では、まず最初に理想が挫折し、次いで本音が押しつぶされ、最後に偽善だけが生き延びるのだ。

 幼い子供の死という悲劇で終わる物語だが、悲劇は用意周到に登場人物の逃げ道を塞いでしまわないと、破滅に向かう主人公たちがただ間抜けに見えてしまう。その点、この映画は相当に用意周到だ。清太の前には、理想と本音と偽善がある。理想的に生きられるなら、それはそれで素晴らしい。主人公は校長の生き方に自分の父親を重ね合わせ、そこに自分の生きるべき道筋を見つけようとする。だが校長は挫折する。清太は次に、身も蓋もない本音だけで生きる男と対話する。だがこれに、清太は強い反発を感じる。残るのは偽善だけだが、清太の幼く真っ直ぐな心は、これを決して許すことができない。ならどうするのか?

 なんと清太は挫折することがわかっている「理想」を、たったひとりで貫き通そうと考える。清太と節子が追い詰められていくのは、戦争のせいでもなければ、小母さんが悪いわけでもない。清太のその後の行動は結局のところ、彼が勝手に理想化した校長一家のミニチュア版なのだ。校長の家族は、校長の他に妻と娘たちという構成だった。校長は女性たちを守る一家の大黒柱だった。清太もそれに倣って、たったひとりの家族である妹を自分ひとりで守ろうとする。清太は校長に自分の父親の姿を重ね、校長一家の中に自分と妹の姿を重ねていく。この行く手にどんな未来が待っているかなど、火を見るよりも明らかではないか!

 校長は自分の意地を貫くために、家族を我が手にかけて殺した。清太もまた、自分の意地を貫くために妹を犠牲にしたのだ。節子は時代や周囲の状況に殺されたのではない。彼女を殺したのは清太だ。時代に屈しまいとする清太の意地が、節子の命を奪ったのだ。だがこれは正義だろうか? ここには清太自身の目からも隠された、大きな欺瞞がありはしないか?

 清太の生き方も、結局は偽善なのかもしれない……。映画のラストシーンが、冷酷にそれを物語っている。

7月5日公開予定 岩波ホールほか全国ロードショー
配給:パル企画 宣伝:ジョリー・ロジャー
2008年|1時間40分|日本|カラー|ビスタサイズ
関連ホームページ:http://www.hotarunohaka.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:火垂るの墓
原作:アメリカひじき・火垂るの墓(野坂昭如)
関連DVD:火垂るの墓(1988・アニメ版)
関連DVD:火垂るの墓(2005・TVドラマ)
関連DVD:日向寺太郎監督
関連DVD:吉武怜朗
関連DVD:畠山彩奈
関連DVD:松坂慶子
関連DVD:松田聖子
ホームページ
ホームページへ