2005年に公開されて大ヒットした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の続編。前作から2年たっての続編だが、映画の中では1年後(昭和34年)の話になっている。そのわりには淳之介役の須賀健太がにょきにょき大きくなって声変わりしかけていたりするのだが、そのへんはまあ大目に見るしかない。前作と同じスタッフ&キャストを揃えただけで、同窓会的な趣のある続編映画としての役目は果たせている。
前作と同じようにCGやセットで昭和30年代の街並みを緻密に再現しており、中でも高速道路の高架に空を塞がれる前の日本橋をリアルに再現しているのは見どころのひとつ。他にも羽田空港や数寄屋橋の日劇など、昭和30年代の映画でおなじみの場所が現代の映画で観られるというのは、それはそれで驚きではある。東京オリンピックの年に生まれた監督は、こうした風景を記憶ではなく、資料をもとにして作っている。むしろそれが、この映画の製作には向いていたのかもしれない。その時代を生きた当事者ではないから、昭和30年代の東京にへんな思い入れがない。だからバランスよく当時の風景を再現できるのだろうし、当時を知らない若い観客が観ても「懐かしさ」を感じる東京を描けるのだろう。
続編映画が正編をしのげないという法則は、残念ながらこの映画にも当てはまる。前作の登場人物をまんべんなく一通り再出演させるという「同窓会」がこの映画のコンセプトであって、エピソードはそのための付け足しだ。原作からエピソードを拾ってきては継ぎはぎし、大きなドラマのないまま1本の映画にぶち込んでいる。大まかに大きなエピソードを見るなら、鈴木モータースに居候することになった元お嬢様の話と、鈴木モータースの従業員である六ちゃんの幼なじみの話を絡めつつ、茶川の芥川賞挑戦と結果発表がクライマックスになる構成。しかしこのクライマックスでは、茶川の芥川賞への思い、ヒロミへの思い、淳之介への思いがそれぞれ相殺しあって、結局はどれも中途半端な感動しか生み出せていないようだ。
茶川の話は最初から映画の中心にはなっているのだが、それを脇の小さなエピソードが分断してしまうのだ。それぞれが絡み合って、大きな流れに合流していくことがない。鈴木モータースに居候することになった美加、六チャンと一緒に集団就職で上京してきた幼なじみの武雄など、大きなエピソードにからむ新キャラクターに加えて、手塚理美や吹石一恵、上川隆也、平田満、渡辺いっけい、貫地谷しほりなど、映画やテレビでおなじみの人気俳優や女優たちがぞろぞろとワンポイント出演していくことも、物語の分断に拍車をかけてしまう。豪華キャストで賑やかな雰囲気は生まれるが、そこでドラマが停滞してしまっては映画として元も子もないではないか。
しかしこれも、前作の「おまけ」と割り切ればそれなりに楽しい。これは2時間半のカーテンコールなのだ。