僕がいない場所

2007/08/30 映画美学校第2試写室
捨てられてもなお母の愛を求める少年の健気さが憐れ。
凍てついた風景の美しさに泣ける。by K. Hattori

 養護施設を抜け出して、母親のもとに戻った少年クンデル。母親は彼を見て喜ぶ顔を見せるが、男出入りの激しい彼女が息子を周囲から遠ざけておきたい態度を見せると、クンデルは母のもとから立ち去ってしまう。彼は町外れの川に浮かぶ敗戦をねぐらにしながら、町で空き缶や金属を拾ってはクズ鉄屋に持ち込む仕事を始める。そんなクンデルの暮らしぶりを、廃船のすぐ近くに住む少女が見守っていた……。

 監督・脚本・編集はポーランドの女性監督ドロタ・ケンジェルザヴスカで、製作・撮影・編集は彼女の夫でもある国際的な撮影監督アーサー・ラインハルト。この映画は全体が落ち着いたセピア調のトーンで統一され、どのシーンも絵画のような美しさを持っているのだが、この調節はフィルムをデジタル化して行ったという。この風景の美しさと、そこで営まれている人間の暮らしの厳しさを一層際だたせるのが、マイケル・ナイマンが担当した音楽だ。

 主人公の少年の境遇があまりに過酷なので、セピア調の映像の効果も相まって、物語は数十年前の時代を背景にしているようにも見える。ところがこの映画、舞台になっているのは現代なのだ。映画のヒントになったのは、ケンジェルザヴスカ監督が新聞で見つけた記事だという。つまり実話だ。事情はよくわからないが、僕はポーランドにこの映画のような少年がたくさんいるとは思わない。しかし映画に登場する、子供に対して無関心な大人の存在は本当だと思う。

 とにかく風景がいちいち絵はがぎのように美しく、その風景の中に主人公の少年がひとりたたずんでいるだけで、これまたいちいち絵になる映画なのだ。こうした風景の美しさがあるからこそ、その中で生きている人間の醜さ、残酷さ、酷薄さが、カミソリの刃のように鋭く突き刺さってくる。少年が町外れの川に係留してある廃船に暮らしているというのも、社会の端っこに辛うじて踏みとどまっている彼の立場を象徴する卓抜な設定だ。係留されている船が流されそうになったとき、少年はあわてて船を岸につなぎ直す。船が岸から離れてしまえば、そこには大いなる「自由」が待っているのかもしれないが、彼はあえてそうしない。

 母の愛を求めながらも繰り返し拒絶され、それでも母を求めて周囲を離れられない少年の憐れさ。彼が拾ってくる手回しのオルゴールは、肉親が子供に注ぐ無条件な愛の象徴だ。彼はそれを通して、自分が愛されているはずだという夢を見る。自分は本当は愛されている、愛されているはずだというはかない願い。観客はそうした彼の願いがいずれ裏切られることを知っている。でも少年が幾度裏切られても、なお母を求める気持ちも理解できる。なんとも悲しく、切ない物語なのだ。

 結末の付け方など、映画にはいささか図式的なところも見え隠れする。映画としての血が通っておらず、骨組みだけがさらされている部分があるのだ。だがそれでも、この映画は素晴らしい。

(原題:Jestem)

10月13日公開予定 シネマ・アンジェリカほか全国順次公開
配給:パイオニア映画シネマデスク
配給協力・宣伝:フリーマン・オフィス
2005年|1時間38分|ポーランド|カラー|ヴィスタ(ヨーロピアン)|SRD
関連ホームページ:http://boku-inai.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:僕がいない場所
関連DVD:ドロタ・ケンジェルザヴスカ監督
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