僕のピアノコンチェルト

2007/08/10 メディアボックス試写室
IQ180の天才少年がしでかした驚きの行動とは?
音楽映画かと思ったら違った。by K. Hattori

 最近の映画界は、どういうわけか空前のピアノブーム。アニメ『ピアノの森』が公開中だが、その他にも韓国映画『私のちいさなピアニスト』があり、ドイツ映画『4分間のピアニスト』があり、本作『僕のピアノコンチェルト』がある。他にもあるのかもしれないけど、とりあえず僕の所に試写状が来ている分だけでもこの状態。製作された国も違うので、このブームは偶然だとは思うけれど、現在の日本映画界において、「ピアノ」という言葉が集客力のあるキーワードと見なされているのは間違いがなさそうだ。ブームになった「のだめカンタービレ」などの影響もあるのかな。本作『僕のピアノコンチェルト』の原題は、主人公の名前と同じ『ヴィトス』。それに日本の配給会社が、『僕のピアノコンチェルト』という邦題を付けたのだ。

 タイトルを見るとまるで音楽映画のようだが、内容はそんな予想や期待を大きく裏切るものだった。(配給会社の付けた邦題から、勝手に予想や期待をしていただけなんですけどね。)この映画は、天才少年と家族の物語。先行作品としては、例えばジョディ・フォスターが監督した『リトルマン・テイト』などがある。天才ゆえに周囲から過大な期待を受け、一方で天才ゆえの孤独にさいなまれる少年の苦悩。この映画の面白さはそれを単なるホームドラマの枠にとどめるのではなく、より大きな風呂敷を広げて現代のおとぎ話にした点だろう。邦題にある「ピアノ」のエピソードも、主人公を単なる頭でっかちの天才少年ではない、多面的なキャラクターにしている。

 物語は「おとぎ話」だが、描かれている人間ドラマは身近で身につまされるものだ。主人公の少年が事故で天才的能力のひらめきを失ったとき、それを嘆いて母親が涙を流すシーンが印象的。「お子さんには劣ったところはひとつもないのに、なぜ泣くんですか?」と医者に尋ねられても、母親はその涙の理由をうまく言葉では説明できない。でもこれと同種の悲しみは、世の親ならたいていのひとが経験しているのかもしれない。

 ほとんどの親は自分の子供を、他の子供とは違う特別な才能に恵まれた子供だと思っている。「うちの子は頭がいい」「運動神経がいい」「断然かわいい」などなど、いろんな面で自分の子供に期待してしまうのだ。でも子供が成長していくにつれ、かつての「天才児」は普通の子供になってしまう。な〜にそもそも最初から、子供は天才ではなかったのだ。天才ではない子供を天才だと思い込んでしまうのは、親のひいき目や欲目に過ぎない。これを「親バカ」と呼ぶ。我が子が天才ではない普通の子だと知ったとき(あるいは普通以下の劣等生である場合も多い)、親はこの映画に登場する母親と同じ涙を流す。親バカが自分の親バカ加減に気付いて我に返ったとき、そこに浮かぶのは「蛙の子は蛙」という言葉である。

(原題:Vitus)

晩秋公開予定 銀座テアトルシネマ
配給:東京テアトル 宣伝:maison こども bureau
2006年|2時間1分|スイス|カラー|ヴィスタ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://eiga.com/official/bokunopiano/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:僕のピアノコンチェルト
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