たとえ世界が終わっても

2007/07/25 映画美学校第2試写室
インターネットの自殺サイトで出会った男の不思議な依頼。
主演は芦名星。監督は野口照夫。by K. Hattori

 ネットの自殺サイトで知り合った人たちがいざ自殺をしようとすると、中のひとりが「死ぬ前にどうしても見ておきたいドラマがある」と言い出す。それが済むと、今度は「どうせ死ぬんだから、その前にこの世でやり残したことをしときましょう」と提案して、真夜中にラーメンを食べに行ったり、ボーリングをしたり……。すっかり気勢をそがれてしまった人々は、自殺するのがバカバカしくなってしまう。だがそんな中に、どうしても死ぬことにこだわる若い女がいた。

 ネット自殺とスピリチュアリズムという、現在日本で流行中だがまったく系統の違うふたつの素材を結びつけたのはアイデア。集団自殺の実行をあれこれはぐらかしていくシーンは面白いし、魂の輪廻転生という確信に基づいて、大森南朋演じる妙田という男がとぼけた世話を焼くのも愉快。しかしこの映画、大まじめに「命」や「人と人の絆」などを描こうとしているらしく、そこに僕は違和感を感じてしまった。

 この映画は「自殺」というものを、ちょっと軽く考えているのではないだろうか。確かに世の中には、ほんの少し嫌なことがあったり、つまらない悩みを抱えたりした人間が、些細なことから自殺してしまうことだってあるとは思う。気まぐれな自殺志願者が、他の自称自殺志願者の気まぐれに流されて、自殺を取りやめることもあるかもしれない。でも自殺志願者のすべてが、そうした浮ついた気持ちで自殺を考えているとも思えない。何となく自殺を取りやめてしまった人たちは、やがてまた、何となく自殺したい気分になるんじゃないだろうか。もっとも、本当に死にたい人はきっとひとりで死ぬのだろう。ネットで知り合った見ず知らずの人たちと一緒でなければ自殺できないような人は、小さなきっかけで死ぬことから生きることへとスイッチが切り替わるのかもしれないけれど……。

 そもそもなぜ人は死のうとするのか。この映画はそこを簡単にスルーしてしまう。映画の中では「死」と対比する形で「生の尊さ」が描かれているのだから、「生」を描くためにも「死」の問題、特に「自殺」の問題をもっと深く掘り下げていくべきだったと思う。また副題に『Cycle Soul Apartment』とあるが、魂の輪廻転生の問題もあっさりとした描写にとどまっている。少なくとも映画を観ている人が、この映画の世界の中に限って言えば、魂の輪廻転生があり得るのだと思える程度に、エピソードをふくらましてほしかった。

 自殺の問題や魂の輪廻転生の問題は、この映画の中心テーマと深く結びついているモチーフのはずだ。そう考えるからこそ、この映画がそれらの表面を軽くなでただけで終わりにしているのは気になる。ドラマ部分の組み立てやキャラクターの造形など、魅力的な部分はたくさんあるのに、それが映画の中に深く根を下ろすことなく空回りしているように思えてならない。

8月25日公開予定 ユーロスペース(レイト)
配給:アルゴ・ピクチャーズ
2007年|1時間38分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.tatoe-sekaiga.jp/
DVD:たとえ世界が終わっても
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