従業員がわずか3名(社長含む)という小さな映像製作プロダクションに勤める青年クリハラは、ある日突然、韓国・釜山の観光ビデオを作るという仕事をあてがわれ、ビデオカメラ片手にたったひとりで釜山に向かう。言葉もわからず、通訳とも連絡が付かず、地理不案内で右も左もわからない釜山で、クリハラはヨーコという日本人女性に出会う。エキセントリックな言動をする年上の女性ヨーコに、クリハラは少しずつ心惹かれていくのだが……。
主人公がひとつの旅を通して精神的に大きく成長するという、定番の旅行映画だ。このジャンルの古典には、例えば『ローマの休日』がある。舞台となった都市の観光名所をあちこち巡り歩き、ロマンスがあり、ミステリーがあり、ちょっとしたサスペンスがあったりする。外見的なことを見れば、映画の最初と最後に主人公をめぐる境遇は少しも変わっていない。『ローマの休日』で言えば、ヒロインのアン王女は相変わらず王女という不自由で窮屈な境遇に甘んじることを余儀なくされるし、新聞記者のジョーも特ダネをものすることなく元の記者生活に戻っていくわけだ。これは本作『ボーイ・ミーツ・プサン』でも同じこと。
主人公の青年クリハラは、映画の最初と最後で境遇が大きく変化するわけではない。彼は相変わらず弱小プロダクションの下っ端社員であり、彼女のいないモテない男であり、おそらく帰りのフェリーでもしっかり船酔いするに違いないのだ。しかしこの旅を通して、クリハラの中の目に見えない部分では、何かが大きく変わっている。単純な言い方をするなら、彼は子供から大人へと一歩成長する。
この映画の弱点は、主人公の内面的な「成長」が観客にうまく伝わり切れていないことだと思う。主人公が釜山でひとりの女性に出会い、別れたことを通して、彼の内面のどこがどのように変化したのか。もちろん変化は内面的なものだから、具体的に何かがどう変わるというものではない。しかしその見えない変化を、観客が自らの心の目を通して具体的に目撃できるのが映画ではないか。例えば『ローマの休日』には、そのための仕掛けが随所にある。映画を観た観客は、アン王女や新聞記者のジョー・ブラドリーの心の中に起きた変化を、手に取るように理解することができたはずだ。それに対して、『ボーイ・ミーツ・プサン』はどうだろう。
アン王女やジョー・ブラドリーにとって、“ローマの休日”は生涯忘れることのない特別な出来事となるに違いない。彼らの境遇は何も変わっていないけれど、この旅を通して彼らは別の人間へと変身したのだ。ではクリハラはどうか。ヨーコはどうか。ヨーコにとってこの旅は、彼女の生涯にとって特別な旅となった可能性がある。でもそれは、クリハラとの係わりによって生じたものではないように思う。結局これは、脚本に人間同士のドラマが欠けているのだ。
DVD:ボーイ・ミーツ・プサン
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