インランド・エンパイア

2007/06/14 角川映画試写室
イカレテます。狂ッテます。でもソレが気持ちいい3時間。
裕木奈江に似た人がいると思ったら本人。by K. Hattori

 『ロスト・ハイウェイ』も『マルホランド・ドライブ』も狂っていた。だが今回の『インランド・エンパイア』は、それ以上に狂った映画である。『ロスト・ハイウェイ』や『マルホランド・ドライブ』は映画の前半で一応サスペンス・ミステリーというドラマの枠組みを作り、その枠の中に狂気に満ちたイマジネーションを解き放つことで映画を成立させていた。「わけのわからん映画」ではあっても、「わけのわからん」部分がどこにあり、なぜわけがわからなくなるのか、観客には比較的明確だったのだ。しかしこの『インランド・エンパイア』はそうじゃない。

 この映画は、そもそも最初から「わけのわからん映画」なのだ。サスペンス・ミステリーであれ何であれ、あらゆる形で映画の枠組みを作ることを拒絶し、フィルムの中では奔流のような狂気のイマジネーションが渦を巻いている。『ロスト・ハイウェイ』や『マルホランド・ドライブ』が観客をいかに翻弄しようとも、それはあらかじめ決められたレールの上を正確に走行した結果だった。いわば猛スピードのジェットコースターだ。観客の体は上下左右に激しく揺すぶられ、遠心力で振り飛ばされそうになり、急降下では体が浮き上がってすっ飛びそうになり、方向感覚を完全に失ってしまう。でもそれは、きちんとした計算があってのこと。ジェットコースターはいずれ、発車したのと同じ位置に戻ってくる。すべては計算ずくなのだ。しかし『インランド・エンパイア』には、そうした計算がない。なさそうに思える。

 物語は二重三重の入れ子構造になっているが、その全体像を理解することは困難。おそらく映画を作っている側にも、その全体像は理解できていないのだろう。物語の中に劇中劇があり、その劇中劇が現実と融合して区別が付かなくなるという話は、これまでにも多くの映画が作られてきた。狂気じみた世界を展開しておいて、最後にそれは一切が夢だったとする夢オチの映画もたくさんある。『インランド・エンパイア』も、そうした劇中劇と現実が融合する映画や、夢オチ映画の一種には違いないのだ。しかし普通の劇中劇映画や夢オチ映画が、現実と虚構、夢と現実を明確に区別することで成立しているのに対して、この映画はそれをまったく区別しない。映画を観ていると、いったい何が現実でなにが虚構や夢なのかがまったく判断できなくなる。現実という基盤があっという間に溶けて流れ、体ごと悪夢の渦に押し流されてしまうような感覚に圧倒されてしまう。

 しかしだ、そもそも映画の中に現実と虚構の区別をしようとするのが、観客側の勝手な思いこみに過ぎないのかもしれない。映画なんて、そもそもすべてが虚構なのだ。映画という虚構の中で、「この部分は虚構の中の現実」「ここから先は虚構の中の虚構」と判断したがる滑稽さ。デヴィッド・リンチは虚構の中で遊んでいる。彼は戸惑う観客たちを観て、ニヤニヤと笑っている。

(原題:Inland Empire)

7月公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給:角川映画 宣伝:メゾン
2006年|3時間|フランス、ポーランド、アメリカ|カラー|1.85:1|DTS、ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.inlandempire.jp/
DVD:インランド・エンパイア
DVD (Amazon.com):David Lynch's Inland Empire (Two-Disc Set)
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