花田少年史

幽霊と秘密のトンネル 

2006/09/10 東劇
アニメも評判になった人気コミックを実写映画化。
時代設定を動かしたのは失敗だろう。by K. Hattori

 一色まことの同名コミックを、『ALWAYS 三丁目の夕日』の須賀健太主演で映画化したファンタジー映画。交通事故で幽霊が見えるようになった少年が、さまざまな幽霊との出会いや事件を通して成長していく様子を描く。原作は昭和30年代か40年代ごろを舞台にした、昭和ノスタルジー系統の作品。2002年から放送されたテレビアニメも、その設定は忠実に踏襲していた。しかし今回の映画は、時代設定を平成の今の時代にしている。

 原作は舞台が昭和だし、昭和ノスタルジーをやればウケルのは『ALWAYS 三丁目の夕日』のヒットで立証済み。なのになぜ、その根本設定を変更してしまうのか? それはこの映画を作るにあたって、予算と準備期間が足りなかったからに違いない。『ALWAYS 三丁目の夕日』は昭和30年代の東京を画面に再現するため、かなりの手間と時間を費やしている。しかしこの『花田少年史』はそれをせず、舞台を現代に移すことで夏休みの公開に間に合わせたのだろう。

 この映画の準備期間が足りなかったことは、脚本の不具合としても現れている。幽霊についての設定は一貫していないし、時代設定と風俗描写もチグハグだ。原作から「交通事故で幽霊が見えるようになった少年」という設定だけを借りて物語を現代に移すなら、登場する人物たちも現代の空気を呼吸している現代の人間にしなければならない。ところがこの映画に登場するのは、昭和の匂いがプンプンする人情味豊かな人々なのだ。僕はこの映画の中に、「今」を感じることができない。この映画に登場する花田少年やクラスメートたちは、はたして現代の小学生だろうか? 登場する大人たちはどうだろうか? そこには21世紀の今を生きる日本人の姿が、正確に写し取られているだろうか?

 こうした物語の世界観だけでなく、この映画では最低限のお話の辻褄さえもが合っているかどうかが怪しまれる。そもそも主人公の一路が事故に遭った理由は? 彼は偶然事故に遭ったのではなく、そこには香取聖子(安藤希が演じる幽霊)の企みがあったのではないか? しかし彼女があえてこうした乱暴な手段をとったことで、いったい一路や家族の運命の何が変わったのだ? 花田家に取り憑く悪霊を退散させるにあたって、一路の能力は何かの役に立ったのか? 映画を観ていても、それがよくわからない。

 花田家を救うにはどうしても一路の能力が必要だという設定があって、そこを中心にクライマックスのサスペンスを組み立てていかないと、この映画は何がなんだかよくわからない。これではただの怪獣ショーではないか。幽霊はテレビを持ち上げたり皿を投げたりできるので、船を運転するのも可能だろう。でもわざわざ船で沖に出てから、ナイフで戦う必然性があるのか? 一路を現場に運んだ祖父の船はどこに消えたのだ? 息子と孫を荒海に置き去りにして、港に帰ってしまったのか? ヘンな映画だ。

8月19日公開 東劇ほか全国ロードショー
配給:松竹
2006年|2時間3分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.hanada-shonen.com/
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