THE WINDS OF GOD

KAMIKAZE

2006/07/06 電通試写室
今井雅之が自作舞台を自らの手で映画化した英語版。
メッセージの焦点がわからない。by K. Hattori

 俳優の今井雅之が書き下ろし、1988年の初演(当初のタイトルは『リーインカーネーション』)以来18年に渡って上演し続けられている同名舞台劇の映画版。同作は1995年に奈良橋陽子監督の手で映画化されており、その際は今井雅之が脚色・主演もしている。今回は今井雅之自らが監督を手がけた、最新作にして決定版とも言える内容。売れない芸人コンビがタイムスリップし、太平洋戦争末期の特攻隊基地に転生するという話は共通。しかし今回はその芸人コンビが、アメリカ人になっているところが新しい。映画の舞台はほとんどが昭和20年8月の日本だが、そこで使われている言葉はすべて英語だ。『THE WINDS OF GOD』で何度も英語によるアメリカ公演をしている今井監督は、この映画版もアメリカに売り込む意図を持っているようだ。

 『THE WINDS OF GOD』については原作の舞台版を未見で、昨年放映されたテレビドラマ版も未見なのだが、11年前の映画と今回の映画を観る限り、何が言いたい作品なのか僕にはよくわからない。「戦争で死ぬなど真っ平ゴメン」と信じて疑わず、実際にそのような言動をしている主人公コンビが、なぜ終戦のその日になって特攻出撃しなければならなかったのだ? 僕が考えうる唯一の理由は、彼らが歴史に対して無知だったという、ただそれだけのことが死の理由なのだ。

 彼らは出撃のその日、8月15日が、まさに終戦の日であることに気が付かなかった。未来人なのに終戦の日を知らないなんて間抜けな話だ。しかし今回の映画は、主人公をアメリカ人にすることで巧みにすり抜ける。しかしそれでも、彼らは広島と長崎に原爆が落ちて日本が戦争に負けることは知っている。ならば広島と長崎に新型爆弾が落ちたというニュースを知った時点で、戦争の終了までカウントダウンに入ったと気が付くべきだったのではないか?

 この映画の中には隊員たちの上官が、やがて来る本土決戦に備えて自らの出撃を控えるというエピソードがある。つまりここでは、戦争がいつ終わるかわからない、戦争はまだ当分終わらないという前提が、パイロットと上官たちの行動を規定している。パイロットたちは長引く戦争の中で故郷や家族、そして愛する祖国を守るために出撃し、上官たちもまったく同じ理由で出撃を控えるのだ。ならばそこで、戦争が間もなく終わることを知る主人公たちはどう行動すべきなのか? 彼らをどう行動させることで、日本の運命を知る人間とそうでない人間を対比させるべきなのか?

 あるいはここでは、戦争が今日この日に終わると知りながら、それでも戦場で散ることを選ばねばならない戦争のジレンマやパラドックスについて、もっと突っ込んだエピソードを考えるべきではないだろうか。ことさら日付を強調する演出と、日付に無頓着な主人公たちのチグハグさは、脚本構成上の重大なミステイクではなかろうか。

8月26日公開予定 シネ・リーブル池袋
配給:松竹 宣伝:る・ひまわり
2006年|2時間5分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.ceres.dti.ne.jp/‾elle-co/
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