みやび 三島由紀夫

2005/07/15 松竹試写室
三島由紀夫とは現代に生きる我々にとって何者か?
インタビューによる多角的な三島論。by K. Hattori

 『藤田六郎兵衛 笛の世界』『能楽師』に続く、田中千世子監督のドキュメンタリー映画。1970年に亡くなった作家・三島由紀夫についての映画だが、これは普通の人物ドキュメンタリーではない。直接本人と親交があった人々には取材せず、三島作品や三島由紀夫の行動に影響を受けた人々が今現在持っている「三島由紀夫観」をつなぎ合わせることで、現代を生きる我々にとっての三島由紀夫を浮かび上がらせる趣向なのだ。亡くなったのが30年以上前のこととはいえ、今でも生前の三島由紀夫本人を直接知る人は大勢いるし、メディアの寵児でもあった三島本人が出演した映画やテレビ、ニュース映像なども残っている。しかしこの映画は、あえてそれを使わない。

 インタビューを受けているのは、小説家の平野啓一郎、美術家の柳幸典、能楽師の関根祥人、狂言師の野村万之丞、イタリア人の日本文学研究家ラウラ・テスタヴェルデ、ハンガリー人の心理学者で作家のパログ・B・マールトン、博物館学芸員の岡泰正、中国人の作家で東大教授のチン・フェイ、劇団燐光群主催の劇作家で演出家の坂手洋二、女優の松下恵、アイスランド人の演出家ホイクール・グンナルソン、地唄舞の出雲蓉など。登場するほとんどの人は、三島由紀夫本人とは個人的な接点を持たない人たちだ。しかし彼らは、三島の作品を通して三島の内面へと深く踏み込んでいく。本人のパーソナリティや、個人的な趣味嗜好、人柄をしのばせる生前のエピソードなどはほとんど存在しない。その劇的に演出された「死」を含めて、三島由紀夫という作家をその「作品」を通して語らせるのが、この映画の狙いなのだと思う。

 考えてみれば、そもそも作家と読者の関係というのはこうしたものなのだ。読者は作品を通して作家と向かい合う。作家は作品を通して、自分自身の存在を世に問う。三島由紀夫が亡くなって35年が過ぎた今はまだ、生前の彼を知っている人も大勢生きている。しかしあともう35年もすれば、そうした生前の知り合いはすべてこの世から消え去って、三島作品の読者はただ彼の作品を通してのみ、三島由紀夫という人物と向き合うことになるのだ。こうして作者は古典作家の仲間入りをする。「あの人はこんな人だった」という個人的な証言の猥雑さを突き抜けて、作家は作品から自分自身を主張し始める。

 「仮面ほど正直なものはなく、人間の顔ほど嘘つきなものはない。三島さんは仮面的な人だよね」と、インタビューに答えているのは野村万之丞。晩年の三島の活動には、何重もの自己演出があったと批評する坂手洋二。仮面に現れるのは、真実の人間の顔。演出の向こうに息づいている、真実の人間の姿……。

 監督自身が大の三島ファンらしいのだが、映画の中で監督が自分の言葉を語らないのは物足りない。インタビューイーの言葉に託すだけでなく、カメラの前で自分なりの三島を語ってほしかった。

秋公開予定 ユーロスペース、シネ・ヌーヴォ
配給:パンドラ
2005年|1時間14分|日本|カラー|ビスタ
関連ホームページ:http://www.pan-dora.co.jp/
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