ジーナ・K

2005/07/07 映画美学校第2試写室
「ここ」から脱出できないどん詰まりの青春劇。
主演のSHUUBIは鮮烈な印象を残す。by K. Hattori

 博多のライブハウスを連日連夜満員にし、ライブの女王と呼ばれた歌姫ジーナ・K。彼女が自殺したという新聞記事を見て、映像作家の荒木は彼女の母親を訪ねる。ジーナ・Kの母は、伝説のストリッパーと呼ばれたカトリーヌ。中州にあった彼女の常打ち小屋を改装したライブハウスこそ、ジーナ・Kのホームグラウンドだった。彼女はなぜ母親と同じ小屋で歌っていたのか。なぜ彼女は歌い始めたのか。そしてなぜ、彼女は姿を消してしまったのか。ジーナ・Kこと幸田かやの。彼女の過去が、少しずつ明らかにされていく……。

 登場人物のほとんどが博多弁丸出しで台詞をしゃべる。この映画は監督や出演者の多くが、福岡や九州出身者で占められているのだ。威勢のいい博多弁が、この映画の大きな魅力になっていることは間違いない。でも登場人物たちの行動までが、極端に威勢よく描かれているのはどうなんだろう。博多近辺ではこれが普通なんでしょうか。皆さん簡単に殴ったりレイプしたり殺したりしちゃうのかな〜。言葉が生み出す異世界感覚に加えて、こうした暴力描写が僕には不可解だった。別にそこまでしなくても、話は進んでいくと思うんですけどね。荒っぽくて、血なまぐさくて、僕にはちょっと馴染めない。

 フリーのドキュメンタリー作家がジーナ・Kの足跡をたどる擬似ドキュメンタリー形式になるのかと思いきや、映画の形式はそれに縛られず自由に展開していく。それは構わないのだが、これだとかえって最初と導入部とエンディングが同じ形式で閉じられている分、映画の広がりが失われてしまったのではないだろうか。インタビュー形式や回想形式は人物伝を作るとき便利だが、この映画の場合はなぜわざわざインタビュー形式や回想形式を採用したのか理由がわからない。最初に「ジーナ・K死す!」というミステリーを提示することだけが、この映画における回想形式のメリットかもしれない。インタビュー形式を使えば、表現としてはもっといろんなことができたと思うんだけど……。

 ヒロインのジーナ・Kを演じるのは、現役の歌手でもあるSHUUBI。劇中の歌は、もちろん吹き替えなしで彼女が歌っている。意思の強そうな眼差しや、ステージ・パフォーマンスで見せる彼女の存在感は抜群だ。周囲に芸達者なベテラン俳優を配置して、新人の彼女をサポートしていく体制もばっちり。SHUUBIの硬くてぎこちない演技も、ジーナ・Kというヒロインの不器用な生き方と重なり合って、この映画の中では不自然さを感じさせることはない。『ジーナ・K』は彼女あってこそのこの映画だと思う。

 しかし僕には、この映画がよくわからなかった。母子の葛藤が大きなテーマになっているのだろうが、ジーナ・Kの鋭い視線と母カトリーヌの激しい気性に、映画を観ている側の気持ちがはねつけられてしまうのだ。最後まで釈然としない映画だった。

8月下旬公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:シグロ 宣伝:フリーマン
2005年|1時間43分|日本|カラー|ビスタサイズ|モノラル
関連ホームページ:http://www.cine.co.jp/
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