電車男

2005/07/01 新宿オデオン座
話はよくできているが恋愛映画としては片肺飛行。
ヒロインのエルメスがよくわからん。by K. Hattori

 2ちゃんねるから生まれた恋愛実話(?)の映画化。しかし映画化された電車男とエルメスの恋に、僕にはどうもピンと来なかった。原作の魅力である「電車男の独り語り」という視点を解消しきれないことがあだとなり、エルメスの人物像が、お話の展開に都合がいいだけののっぺらぼうになっているのだ。

 映画『電車男』の主人公は電車男とエルメスだが、じつは原作にエルメス本人は登場していない。そこにあるのは、エルメスについての電車男の報告だけだ。電車男を応援したネット住民たちも、原作の読者も、最初から最後まで「エルメス本人」の影も形も見ることがないのだ。これが電車男捏造説の大きな根拠になっているが、それはまた別の話。問題はそうした存在だったエルメスが、映画の中でひとつの実像として登場したことにある。

 あらゆる人間関係がそうであるように、エルメスというヒロインにも、電車男の知らない過去があり、現在の生活があり、考えや価値観があるはずだ。しかしそれは、電車男には見えないし、彼の報告を通してしかエルメスを知らないネット住民にも当然見えない。それ事態は、ごく自然なことだ。しかし彼女が映画の中でひとりのキャラクターとして自立するためには、電車男から見えない彼女の属性までもが、観客の前には開かれた存在になる必要がある。そこには電車男の知らない(彼からは見えない)、観客だけが知るエルメスがいてほしい。

 例えば僕は、この映画のエルメスが電車男のことをどう思っているのかがよくわからなかった。この映画では「恋をする苦しさ」が後半の大きなテーマになるが、その苦しさに、電車男は身悶えしてのたうち回る。でもエルメスはどうなの? 彼女は電車男が苦しげに自分の胸の内を告げたとき、「それなら別れましょうか」みたいなことをシラッと言ってしまうのだ。彼女は苦しくないの? 彼女は辛くないの? 僕はこの場面で、雨の中を去っていく電車男を見送るエルメスに、少しは苦しい顔や寂しげな顔をしてほしかった。エルメスが本当に電車男のことを好きなら、電車男が苦しんでいるとき、エルメスだって苦しいはずじゃないか!

 なぜエルメスは電車男と付き合うようになったのか? 観客にすらまったくわからない中では、以下のような仮説が成立する。仮説1。彼女は会社の上司と不倫しており、その当て馬として電車男を手玉にとっている。上司が若い男を誘惑する自分に、焼き餅をやくことを期待している。仮説2。彼女はじつは10代で一度結婚出産したが離婚してしおり、子供は別れた夫が育てている。その後は男も恋愛もこりごりと思っていたが、元夫と正反対の性格の電車男に惹かれている。仮説3。彼女はある宗教の信者で、信者獲得と選挙対策のため電車男に色仕掛けで迫った。このような想像を許す余地が、エルメスというヒロインには存在しているのだ。

6月4日公開 有楽座ほか全国東宝洋画系
配給:東宝
2005年|1時間41分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.nifty.com/denshaotoko/
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