亀は意外と速く泳ぐ

2005/06/08 メディアボックス試写室
平凡すぎるほど平凡な若い主婦がなぜかスパイに!
細かいギャグ満載の軽いコメディ。by K. Hattori

 例えばテレビに出演することになったとする。自分がカメラの前でしゃべる台詞を、あらかじめ整理して紙に書いておく。あるいは事前に台本を渡される。でもその台詞を、カメラの前で「普通」にしゃべるのは案外難しい。牛丼の取材に付き合って、取材を受けながら牛丼をカメラの前で食べたことがある。「普通にいつも通りの感じで食べてくださればOKですから」と言われて、はたと困り果てる。一体自分は、普段どんな風に牛丼を食べているのだろうか。なぜ自分はマイクの前で「普通」にしゃべれないのだろうか。「普通」を意識した途端、人間の言動は「普通」から何光年も遠ざかる。

 この映画には、「普通」からずれた人たちが大勢登場する。しかしそのずれ方は、余りにも微妙だ。しかし「普通」という日常が余りにもありふれたものだけに、少しでもそこからのずれが生じるととひどく目立つ。大きくずれる必要はない。問題は誰にもわかる小さなずれなのだ。

 この映画ではそんな「日常からのずれ」が、映画全体のテーマになっている。主人公の片倉スズメはふとしたきっかけから某国のスパイになった。しかし本国からの指令があるまで、彼女は日常の中に潜伏して普段通りの生活を続けなければならない。スパイの訓練は「3千円以内でなるべく普通の買物をしろ」とか、「ファミレスで決して目立たない普通のメニューを注文しろ」というもの。ここで主人公は、「普通って難しい」と嘆息するのだ。普通であることの難しさや、過度に普通を装うことで醸しだされる不自然さが、この映画ではギャグにされている。

 劇中にはナイスキャラが続々登場。上野樹里が演じる片倉スズメの「没個性」という名の個性がこの映画の基調となり、そこに蒼井優演じる幼なじみの扇谷クジャクが絡むというのが一応この映画の「アイドル映画風」の体裁ではあるのだが、映画を引っかき回していくのは岩松了とふせえりのスパイ夫婦と、その周辺のオジサン連中だ。明らかに不自然な「普通の人々」が、自分では自然なつもりで「普通」であり続ける奇妙さ。それを主人公のスズメがぼんやりと、ありのままに受け入れてしまうぬるま湯的な空間こそが、この映画の味わいになっている。

 監督・脚本は『イン・ザ・プール』の三木聡。『イン・ザ・プール』は「普通じゃない人たちがじつは普通」という映画だったが、こちらはその逆で、「普通の人たちがじつは普通じゃない」というもの。方向は反対だが、目のつけどころは同じ。立ち位置は同じで、右を向いているか左を向いているかの違いなのかもしれない。日常の中の普通じゃない出来事が生み出す面白さという意味で、この映画はジャック・タチの映画にも似ている。もっともこの映画にあるのはパントマイム芸ではなく、映画全体にベッタリと張りつく上野樹里のモノローグ。これはハードボイルド探偵ドラマの形式を借りたパロディだろう。

7月2日公開予定 テアトル新宿
配給・宣伝:ウィルコ
2005年|1時間30分|日本|カラー|ビスタ|ステレオ
関連ホームページ:http://www.kamehaya.com/
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