ミリオンダラー・ベイビー

2005/05/20 よみうりホール
まっすぐ誠実に生きようとして傷ついてしまう人間たち。
アカデミー賞主要4部門受賞作。by K. Hattori

 先週に引き続き2度目の鑑賞。前回はストーリーをまるで知らずに映画を観て、最後の1時間ぐらいの展開に驚いてしまった。(映画のテレビCMはそのへんをバラしているんだけど、これはそれとなく映画の性質を示そうという作戦だろうか?)今回はあらかじめそれを知っているので、むしろ映画がいかにしてその結末にたどり着くのか、その必然性について考えながら映画を観ていた。なるほど、よくできた脚本だと思う。主人公たちがその結論に至るしかないことを、観客にきちんと納得させてくれる巧みな組み立てだ。

 特にモーガン・フリーマン演じるスクラップの存在意義は大きい。主人公フランキーに影のように寄り添い、片時も離れようとしないスクラップは、フランキーにとって自分の分身のような存在だ。人づきあいのあまりよくないフランキーに代わって、周囲との緩衝材になっている。掃除などジムの雑務を担当しているだけに見えるが、彼がいなければジムの経営はとっくに行き詰まっていただろう。互いに直接何かを言い合うわけではない。しかしあえて言葉にせずとも、互いに気心は通じている。意地っ張りのフランキーがいずれ受け入れることを先回りして受け入れ、準備を整えるのがスクラップの役目。フランキーの「心の声」の代弁者だ。これが映画の最後に生きてくる。

 映画の中心になるのは、フランキーとマギーの擬似父娘関係。娘を失ったフランキーは、マギーという娘を得る。父親を亡くしているマギーも、フランキーの中に自分の父の姿を重ね合わせる。ふたりは互いが本物の家族を失い、代替品としての擬似家族を作ったのだ。だが代替品の家族の間に流れる愛情は、本物の家族よりも強い。一度家族を失ったふたりは、今度こそ新しい家族を失いたくないと願う。相手を愛しているがゆえに、たどり着かざるを得ない苦渋の決断が痛々しい。

 相手に対して誠実であろうとすればするほど、相手を傷つけてしまうという矛盾。かつてフランキーはカットマンとして誠実に試合をサポートした結果、スクラップの目を失明させてしまった。スクラップはそれでも悔いがないという。この映画の中では、主役クラスの登場人物たちのエピソードが、すべて過去の繰り返しになっている。マギーもまた、フランキーに対して誠実であろうとし、彼にもそうあってほしいと願う。一度娘を失っているフランキーは、新しい娘であるマギーの願いをはねのけられない。

 光と闇を巧みに使った画面作りが、この映画に神話のような雰囲気を醸しだしている。ジムの暗闇から現れるスクラップやフランキー。真っ暗なジムの中でひとり小さな灯に照らされるマギー。最後の病院のシーンもすごい。特にスクラップが闇の中から現れるシーンは、彼がどこにいるのかよくわからないのがすごいぞ! こうした暗い情念の世界と、きらびやかにショーアップされたファイトシーンのコントラスト。上手い。

(原題:Million Dollar Baby)

5月28日公開予定 丸の内ピカデリー1ほか全国松竹東急系
配給:ムービーアイ、松竹
2004年|2時間13分|アメリカ|カラー|2.35:1|サウンド
関連ホームページ:http://www.md-baby.jp/
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