狼たちの鎮魂歌(レクイエム)

2005/05/17 TCC試写室
1950年代にアメリカを追放されたギャングたちの実録映画。
映画としてのまとまりに欠けている。by K. Hattori

 1951年、組織犯罪の本格的な検挙摘発に乗り出したアメリカ政府は、124人のイタリア系アメリカ人をマフィアとして起訴した。証拠不十分で実刑をまぬがれたものの、彼らは「好ましからざる者たち」というレッテルを張られて国外追放処分となった。彼らを受け入れる場所は、結局のところ故郷イタリアしかなかった。イタリア人新聞記者のフスコは、彼らのアメリカ時代を取材し始める。手がかりとなったのは、1枚の古ぼけた写真。フスコはその写真に写っている人物を、ひとりずつ訪ねていくのだが……。

 ジャーナリスト出身のイタリア人作家ジャン・カルロ・フスコの実録小説を、パスクァーレ・シメカ監督が映画化した実録ギャング映画。1枚の写真に写った人物を順番に訪ねて、その思い出話が順番に語られていくというスタイルは、手帳に記載されていく人物をひとりひとり訪ねていく『舞踏会の手帳』と同じオムニバス形式だ。しかしこの映画ではそれがあまり有効に機能していないように思う。写真を手に入れるまでのプロローグをもっとコンパクトにまとめ、写真にまつわるミステリーを作ってそれを軸に各エピソードを綴っていけば、1本の映画として、もっときちんとまとまったものになっただろう。

 映画に登場する人物たちは、マフィア社会の中で中堅クラスにまではのし上がっても、それ以上の幹部にはなれなかった者たちだ。どんなに羽振りがよく見えても、しょせんは組織の中の兵隊クラス。ギャング映画やマフィア映画の中では、台詞も役名もないその他大勢に属している連中だ。いわば匿名のギャングたち。しかし彼らにも、ギャングになるだけのいきさつがあり、それぞれの家族や仲間や生活があった。この映画はそんな「その他大勢」の人生を、リアルに描き出して見せる。

 1本の映画としての印象は「テレビシリーズの総集編みたいだな〜」というものだった。エピソード同士のバランスが悪くて、実際にはもっと長い映画を無理やり縮めたような印象なのだ。オリジナル版はもっと長いのに、配給会社が短い英語バージョンを買いつけたに違いないと思ったら、特にそういうわけでもない様子。それにしては映画の中の時代設定がわかりにくかったり、語り手であったはずのフスコがエピソードの中に紛れ込むなど、変に実験的な手法をとったりもしている。映画は1951年から始まり、回想シーンでは1930年代に戻るのだが、映画の最後はいったいいつなんだ? 街を通る車は、明らかに現代だと思うのだけれど……。

 映画の売りは「ヴィンセント・ギャロ出演作」という点だが、ギャロの演じる役は、物語のキーになる写真には写っていない小さな人物。彼目当てで映画を観ていると、なかなか出てこないのにイライラさせられてしまうかもしれない。出てくるのは後半になってからです。それにしても彼の映画出演基準というのが、よくわからんな〜。

(原題:Gli Indesiderabili)

7月9日公開予定 銀座シネパトス(レイト)
配給:タキコーポレーション 宣伝協力:フレスコ
2003年|1時間35分|イタリア|カラー|1:1.66|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.taki-c.co.jp/ookami/
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