昨年のカンヌ映画祭でオリジナル視点賞と国際批評家連盟賞を受賞し、東京国際映画祭ではコンペのグランプリと主演女優賞を受賞したウルグアイ映画。ウルグアイの町で零細な靴下工場を経営するハコボという初老の男を、数年ぶりに弟エルマンが訪ねてくることになる。ハコボは工場で働く中年の女マルタに、弟の滞在中だけ自分の妻の振りをしてほしいと頼むと、彼女はすんなりとそれを受け入れる。やがてエルマンがウルグアイにやってくる。彼はブラジルでハコボと同じく靴下工場を経営しているが、事業は順調でハコボよりはずいぶん羽振りがよさそうに見える。エルマンは数日の滞在の後、ハコボとマルタを近くのリゾート地に招待すると言い出すのだった……。
登場人物は3人だが、話としては兄のハコボと、その妻を演じることになったマルタの物語と考えていいだろう。ほこりぽい小さな工場の中で、毎日繰り返される単調な日常を飽きることなく繰り返しているふたり。長年一緒に仕事をしているのに、会話らしい会話はまるでない。しかしこのふたりの間には、互いを同類だと認め合うような気安さと信頼感がある。その後何事もなければ、このふたりはその後も何年何十年と、まるっきり変化のないこの日常の中で生きていけただろう。
ところがこの映画が描いているのは、じつはこのふたりが同類ではないという事実なのだ。地味で変化のない淡々とした生活の中に安住しているように見えて、じつはハコボとマルタはまるで正反対の方角を向いている。ハコボが今の生活の中に小さく閉じこもって行くことをよしとするのに対して、マルタは今の生活から何とか脱出したいという願望を持っている。ハコボは変化を嫌うが、マルタはむしろ変化を待ち望んでいるのだ。エルマンがやってくる直前、美容院に行ったりおしゃれをしたり、いそいそと身ぎれいに装うマルタの姿が描写される。それは女性にとってなんでもない日常のひとコマのように見えるが、じつはこの行動の中に、それから起きることの中に何かを期待しているマルタの気持ちが込められているのだ。ただし映画のこの時点では、そこまで読み解くことは難しい。
ありがちなハリウッド映画なら、ハコボとマルタはエルマンが現れて夫婦の真似事をするうちに、互いを意識するようになって最後は結ばれるのだろう。しかしこの映画はそれとはまったく逆だ。夫婦の真似事をするうちに、ハコボとマルタは自分たちが同類でもなんでもないことを思い知らされる。マルタの憂鬱そうな表情や、ハコボの苛立ちは、相手が自分の期待している人ではなかったという失望の表れなのだ。
それでもハコボは、マルタが自分の同類であることを最後まで期待している。弟のエルマンが帰ってしまえば、自分たちにはもとの平穏な暮らしが戻ってくるべきだと考えている。でもそうは問屋が卸さない。とぼけた味の辛辣な映画である。
(原題:Whisky)
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