パッション

2004/05/29 テアトル・タイムズスクエア
イエス・キリストの受難をリアルに描く聖書映画。
なぜか2度目の鑑賞となりました。by K. Hattori

 一度試写で観ているのに、また観てしまった。上映館のテアトル・タイムズスクエアは、封切りからそろそろ1ヶ月たっているというのに満席の盛況ぶり。東京都内での上映館が絞られてきているので、この映画館に客が集中しているのは確かだろうけれど、それにしてもなぜ『パッション』?

 最初に観た時は聖書の記述との整合性や、他のキリスト伝映画との類似点や違いばかりが気になってしまった映画だが、今回改めて観てみるとそれは気にならない。むしろ監督のメル・ギブソンが、この映画で聖書の何を強調したかったのかがよくわかる気がした。この映画の主人公はイエスではない。イエスは周囲の人々を引きつける強力な磁場であり、この映画のドラマはイエスに引き寄せられていく人々の中で起きている。

 イエスの十字架を目撃することになった多くの人々。そのほとんどは、イエスの死を見届けることなく逃げ出してしまう。イエスの逮捕に驚き、逃げ出してしまった弟子たち。イエスを3回否認するペテロ。師を裏切ったことを悔いるユダは自殺。イエスを何とかして助けようと努力したローマ総督のポンテオ・ピラトと妻クラウディアは、イエスがゴルゴタの丘を登っていく様子を城壁の上から見送るだけ。十字架の道行きを涙ながらに見送る女たち。聖女ヴェロニカ。クレネのシモンは兵士たちがイエスに暴力を振るうことに抗議するが、イエスの最期を見届けることなく逃げるようにゴルゴタの丘を後にする。イエスを死に追いやった大祭司カイアファも、イエスが息を引き取る前に丘を立ち去っている。多くの人々は、イエスの受難のごく一部に関わるだけだ。

 これに対して、イエスの道行きの最初から最後まで付き添い続けた者たちがいる。イエスの愛する弟子ヨハネ、聖母マリア、そしてマグダラのマリアだ。彼らはイエスの受難に最後まで添い遂げる。映画の中では聖母マリアとイエスの関係が特に強調されているが、マリアのネガとして登場するのがサタンだ。サタンが醜い赤ん坊を抱いて現れる場面は、聖母子像のグロテスクなパロディ。この映画でサタンがイエスを誘惑することにはあまり意味がないのだが、サタンとマリアを対比させることで、聖母マリア像がくっきりと際立ってくる仕掛けになっている。

 この映画は聖書とキリスト教信仰(このふたつは同じではない)にある程度の知識がないと、そもそもイエスがなぜ殺されなければならなかったのかがわからない。劇中に登場する回想シーンの数々も、それが何を意味しているのかがわからない。しかし聖書を読んでいてもイエスが殺された理由や、ユダが裏切る動機が釈然としないのも事実。議論を呼びそうな部分をバッサリと切り捨てて、イエスの逮捕から処刑までに時間を凝縮したのはひとつの工夫かもしれない。そうするとイエスの復活も本来は不要なのだが、映画は復活という事実だけをシンボリックに処理している。

(原題:The Passion of the Christ)

5月1日公開予定 テアトル・タイムズスクエア他・全国洋画系
配給:日本ヘラルド映画
2004年|2時間7分|アメリカ|カラー|シネスコ|ドルビーSRD、SDDS
関連ホームページ:http://www.herald.co.jp/official/passion/index.shtml
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