ベジャール、バレエ、リュミエール

2004/03/09 メディアボックス試写室
ベジャール・バレエ団の新作準備風景を取材したドキュメンタリー。
振付師ベジャールの創造の秘密に迫る。by K. Hattori

 20世紀後半を代表するバレエ振付師モーリス・ベジャールのバレエ団が、2001年に新作「リュミエール」(「光」という意味)を上演するまでを追ったドキュメンタリー映画。撮影はその年の2月から、初演の幕が上がる6月まで行われている。「リュミエール」というコンセプトから音楽が決まり、そこから徐々に舞台が形作られていく。その様子はバレエに興味がない僕のような人間が観ても面白い。それはベジャールというひとりの人間の頭の中に生まれたアイデアが、ダンサーの肉体や舞台装置によって具体化していく一部始終を、カメラと共に目撃することができるからだ。

 「リュミエール」は「光」というコンセプトから、複数のモチーフを自由につなぎ合わせた構成になっている。音楽はバッハとバルバラとジャック・ブレル。ダンサーたちは舞台の上で、恋人同士を演じることもあれば、道化師の衣装を着て映画興行の生みの親であるリュミエール兄弟を演じもする。「光」という言葉から始まる連想ゲームが、ベジャールの創作意欲を刺激する。そこではイメージの転換もあれば、駄洒落や語呂合わせも入り込む。理屈ではない。創造とは自由奔放で融通無碍なものなのだ。そこには「なぜ?」という問いがない。ダンサーたちはベジャールのアイデアを具体化するオブジェとして、稽古場や舞台の上を動き回る。

 映画は舞台ではなくその裏側を追いかけているため、実際に完成した「リュミエール」という舞台がどんなものなのか、全貌を観ることはできない。しかし少しの妥協もなく、明確なビジョンにしたがって作品が完成に向かっていく様子は、観ていてとても興味深いものだ。そこでは何もない「無」の状態から、ベジャールという個人の才能を触媒にして新しい芸術が生み出される。ベジャールは映画の中のインタビューで旧約聖書の冒頭を引用してみせるが、まさに「リュミエール(光)」こそあらゆる創造の原点だ。

 人間は他人の不幸を喜ぶ残酷な習性がある。映画の中で一番面白いのは、初演直前のリハーサルが何度も雨で中断されてしまう場面だった。ベジャール本人は「屋外でやる時はいつもこれに悩まされる」とぼやくのだが、そんなに雨が嫌なら屋根付きの劇場で上演すればよさそうなのに、あえて天候不順というリスクを負っても屋外公演にこだわるのがベジャールなのではないか。天然の光(太陽)が地平線に没した後、ステージを人工の光、芸術が放つ輝きで照らし出すことこそが、「リュミエール」という舞台にふさわしいと思ったのかな。でもベジャールの苦しみそっちのけで、水に濡れたステージでダンサーたちがはしゃぎ回っているのが印象的。雨で流れたリハーサルの時間は、初演を間近に控えたダンサーたちにとって、天から恵まれたつかの間の休息なのかもしれない。初演直前の緊張感が、ここでほんの少しほぐれるのだ。

(原題:B comme Bejart)

初夏公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給:日活
2002年|1時間35分|スイス|カラー|ビスタ|ステレオ
関連ホームページ:http://www.bcommebejart.com/
ホームページ
ホームページへ