ボスニアの青い空

2003/11/12 映画美学校第2試写室
戦火のボスニアから少年を連れて脱出した男の目的は……。
定型のロードムービーだが脚本がまだまだ弱い。by K. Hattori


 血みどろの内戦が続いている1995年のボスニア。ユニセフのパスポートと書類を持って紛争地帯に足を踏み入れたシャルキィは、そこでありとあらゆる不法と非人道的行為がまかり通っている様子を目撃する。協力者もないまま、たまたま知り合った戦争孤児のブラードを連れて国境を出ようとするシャルキイ。だが道は戦闘と検問であちこち寸断され、ふたりはなかなか国外の安全な場所に脱出することができない。検問をくぐり抜け、追跡者を撃退し、ふたりは何とか国外に出ることができた。だがそこで待っていたのは、ボスニアと同じかそれ以上に狂った現実だった……。

 ポーランドのトマス・ビシュニエスキ監督が昨年のサンダンス映画祭に出品した作品で、主人公のシャルキイを演じているのは名優ボブ・ホスキンス。ユニセフ職員を騙る中年男と少年が、戦火のボスニアからポーランドを経てドイツに至るロードムービーだ。人間の死が日常となり、死体の山や地雷が遊び場や遊び道具になってしまっているボスニアの惨状を描写したシーンは迫力があるが、肝心のロードムービーとしては面白味があまりないのが残念。ワケありの中年男と子供が旅をして、ようやく行き着いたところには当初の思惑と全く違った現実が……というのは、ロードムービーのひとつの定型パターンだと思う。しかしこの映画は、その定型がうまくこなせていないのだ。

 ボブ・ホスキンス演じるシャルキイという男の怪しさを、映画の序盤でもっとわかりやすく描写しておいてほしい。彼はなぜ危険なボスニアにやってきたのか。なぜ「9歳の男の子」という具体的な対象をひとりだけ、国の外に連れ出そうとしているのか。こうした謎めいた部分を事前にきちんと観客にアピールしておけば、それがミステリーとなって物語を引っ張る力になるのだが、この映画はそれがどうも曖昧なのだ。あらゆる秩序が崩壊して地獄の惨状となっているボスニアでは、「子供をひとり国外に連れ出す」というシャルキイの目的意識が「怪しい行動」には見えてこないのかもしれない。映画の早い段階で、彼が明らかにユニセフ職員らしからぬ行動をするところを見せてほしかった。鞄の底にパスポートや書類を何通も持っていたり、大量の現金を持ち歩いていることでも示しておけば、それで観客は「なんだろう?」と不思議に思ってくれたはずだ。

 シャルキイを娘が死んだ原因だと考えて追いかける大佐には、もう少しいろいろな形で活躍してほしかった。彼が映画の途中で退場してしまったときには、ひどくがっかりしてしまった。ブラードが自分の名前にこだわる理由も、何やらとってつけたような感じがした。大佐の退場にしろブラードの名前へのこだわりも、映画の中ではかなり大きな意味を持つ部分。こうした部分でわざとらしさや強引さを感じると、それだけで映画を観ている側は白けてしまう。脚本をもっと練ってほしかった。

(原題:Where Eskimos Live)

第5回NHKアジア・フィルム・フェスティバル
12月13〜21日 東京都写真美術館ホール
宣伝・問い合わせ:アップリンク
(2002年|1時間35分|ドイツ、ポーランド、アメリカ)
ホームページ:
http://www.nhk.or.jp/sun_asia/

DVD:ボスニアの青い空
関連DVD:トマス・ビシュニエスキ監督
関連DVD:ボブ・ホスキンス

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