フル・フロンタル

2003/10/28 東宝試写室
スティーブン・ソダーバーグ監督が豪華スターを使って作った実験作。
自主映画みたいな“ノリ”だけを楽しむべきなのかも。by K. Hattori


 スティーブン・ソダーバーグ監督が、ジュリア・ロバーツやデイビッド・ドゥカブニー、キャサリン・キーナー、ブラッド・ピットなどを招いて作った低予算映画。ソダーバーグはメジャーで大予算の映画が作れるようになった今でも、自主製作風の実験作が作りたくてしょうがない人。それが作家性として映画の中に反映すれば『トラフィック』のような映画にもなるわけだが、今回の映画は「実験作」に偏りすぎて娯楽性は薄れている。ソダーバーグが道楽で作っている映画なので、それを覚悟しないと観客は「なんじゃこりゃ!」と面食らってしまうだろう。

 映画は二重三重の入れ子構造になっているのだが、映画の序盤ではそれをあえて観客に示さない。ジュリア・ロバーツとブレア・アンダーウッドが出演している『ランデヴー』という劇中映画があり、それと平行して大物映画プロデューサーのパーティに参加しようとする人々やその周辺のドラマが描かれる。『ランデヴー』は35ミリフィルムで撮影され、それ以外の現実シーンはビデオカメラで撮影されているので、ふたつは容易に区別が付くようになっているのだが、それでもこれはかなりわかりにくい。

 しかしそもそもこの映画は、登場人物を大勢出して、それぞれの関係をいちいちわかりにくくすることに力が注がれているのではないだろうか。劇中劇をいくつも使って、物語を入れ子構造にしているのも意図的だし、ドラマのキーパーソンであるプロデューサーを映画の終盤まで登場させないのも、観客の視点を一カ所に集中させないための工夫だろう。この映画は即興に見えるシーンも多いが、事前に人物配置は綿密に練り込まれている。その上で人物をひとつの同心円上に配置せず、複数の中心を持ついくつかの同の上に配置しているのだ。『トラフィック』は同じ時間軸の中で3つの中心を持つ映画だったが、この映画も同じように複数の中心を持つエピソードが、ゆるやかにからまり合う構成になっている。

 僕はこの映画に「手法」の面白さを感じたものの、そこに「新しさ」や「ユニークさ」を感じることはなかったし、一度手の内が読めてしまえばそれだけの映画だと思った。観客からお金を取る映画は「手法」だけではダメで、問題はその「手法」を使ってどんな「内容」を表現するかではないだろうか。『トラフィック』は「手法」以前に「内容」の面白さがあったから、観客は変幻自在の手練手管をかいくぐって映画の内容に迫ろうと映画館で夢中になれたのだ。でも今回の映画が描いているのは、男と女の出会いだの別れという日常の些事だし、その中身に深く踏み込んでいこうという作り手の意図はまるで見えない。とにかく最初から最後まで「手法」の実験だけを繰り返すだけ。手は込んでいるけれど美味いとは思えない創作料理みたいな映画だった。1度ならいいけど、2度は食べたくないなぁ。

(原題:Full frontal)

2004年正月第1弾 シャンテ・シネ
配給:東芝エンタテインメント
(2002年|1時間41分|アメリカ)
ホームページ:
http://fullfrontal.jp/

DVD:フル・フロンタル
ビデオ:Full Frontal
関連DVD:スティーブン・ソダーバーグ監督
関連DVD:ジュリア・ロバーツ

ホームページ

ホームページへ