自転車でいこう

2003/10/09 イマジカ第2試写室
個性豊かな障害者たちと彼らを支える人々の記録。
対象にあと1歩踏み込んでほしかった。by K. Hattori


 聞いていてあまり気持ちのいい話ではないが、住宅街やその隣接地域に老人ホームや障害者向けの施設ができそうになると、地域住民の猛烈な反対運動が起きることがある。特に後者への反発は強い。車椅子や松葉杖、聾唖や盲人のような「身体障害」の場合、まだ抵抗は少ないのだ。それらは社会の中で、「気の毒な人」として丁寧に扱われる。問題は知的障害を持つ人、精神障害を持つ人などだろう。こうした人たちは「何をするかわからない得体の知れない人」として社会から恐れられ、排斥されることが多い。

 だがこの映画に登場する大阪市生野区では、障害を持つ人たちが地域の中にとけ込んで暮らしているようだ。自閉症の青年リー・プーミョン(李復明)は、地域の作業場で作ったTシャツやアクセサリーを売り歩く営業マンの仕事をしている。自転車に商品を積み込んで、町のあちこちにある作業所を訪問して回る。時にはTシャツの路上販売もする。だがプーミョンの営業は道草も多く、営業成果はほとんどゼロ。映画はこのプーミョンを中心に、彼の周囲にいる個性豊かな障害者たちや、彼らをサポートするスタッフや地域の人々を映し出していく。

 この映画は障害者を「我らの隣人」として好意的に描いている。その立場に僕は異論があるわけではない。しかしながら僕は、この映画を観ていてずっとイライラしていた。障害者の存在は、どうしたって周囲の人たちに迷惑をかける。動作は遅い。言うことを聞かない。意思の疎通がはかれない。障害者が自立していくよう支援するには、気が遠くなるような時間と根気が必要になる。身障者に優しい社会は、健常者にとって逆にストレスを強いることにもなるのだ。遊園地への入場をせがんだあげく入り口を強行突破するプーミョンや、バス賃のおつりを次々と運賃投入口に逆流させてしまう晋ちゃんの姿は、見ようによっては微笑ましくもあるだろう。だがこれはその現場にたまたま居合わせた赤の他人にとっては、とてつもない迷惑行為なのだ。晋ちゃんがバスの入口をふさいでいる間、バス停では別の客が待っているではないか。

 悲しいことに、我々の社会は健常者が暮らすことを前提に作られていている。「障害は欠点ではなく個性だ」という考え方もあるけれど、健常者中心主義で作られている社会では、その「個性」が社会の仕組みと衝突する場面が多々あるのだ。そこで障害者と社会の仕組みの間に立って調整役を務めているのが、作業所や保育所のスタッフたちではないのか。彼らにあるのは単純な「善意」や「優しさ」ではない。そこには「使命感」や「覚悟」がある。映画がそこまで踏み込んでいってくれれば、この映画は「障害者と日本社会」を考える上での、格好のテキストになったに違いない。しかし障害者のための作業所より学童保育所を主たる取材対象に選んだ監督に、そうした問題意識がなかったようだ。

12月6日公開予定 ポレポレ東中野
配給:株式会社モンタージュ
問い合わせ:オフィス・ブラインド・スポット、モンタージュ
(2003年|1時間55分|日本)
ホームページ:
http://www.montage.co.jp/jitensya/

DVD:自転車でいこう
テーマ曲CD:あそぼう(ウルフルズ)
関連DVD:杉本信昭監督

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