アララトの聖母

2003/07/24 GAGA試写室
第一次大戦中に起きたトルコによるアルメニア人虐殺を描くドラマ。
複雑な構成の映画だが後には暖かいものが残る。by K. Hattori

 ナチスドイツがユダヤ人を大量虐殺したホロコーストは、まず大抵の人が知っている歴史的大事件だ。だがその20年ほど前、オスマン・トルコ帝国がアルメニア人を大量虐殺した事実はあまり知られていない。1915年4月から始まった組織的虐殺によって殺されたアルメニア人の数は、100万とも150万とも言われている。この映画で大きなモチーフとなっているのは、ホロコーストの影で忘れられがちな「アルメニア人虐殺」という事件だ。

 映画は時代や時間が前後するかなり複雑な構成になっている。まずもっとも古い物語として、トルコ東部にあるアルメニア人の町ヴァンが、トルコ軍の攻撃で全滅する様子が再現される。これは当時宣教師として町にいたアメリカ人医師、クラレンス・アッシャーの手記をもとにした再現ドラマだ。この殺戮からからくも脱出した人々の中に、後にアメリカに渡って画家となるアーシル・ゴーキーがいる。彼が代表作「芸術家とその母」を描く姿も、映画の随所に再現映像として挿入されている。だが映画の中心になっているのは、現代のトロントで行われている映画撮影の様子と、そこに直接間接に関わった人々の物語だ。この映画の中で、アルメニア人虐殺事件が「劇中劇」として描かれる。

 映画の中ではアルメニア人虐殺の様子が詳細に再現されているのだが、それが「過去にあった出来事を描いた映画」というフィクションであることが強調されている。事件を目撃する少年時代のゴーキーの話や、ホリゾントに描かれたアララト山の姿はフィクションだ。廃墟になった町はセットであり、そこで起きた出来事は俳優たちによるお芝居であり、傷つき殺される人々はエキストラで、憎々しげなトルコ人将校も俳優に過ぎない。映画は観客が「過去の歴史」に深く入り込むことを許さない。歴史再現ドラマは、随所で撮影セットや映画館のスクリーンへと引き戻され、それが「再現ドラマ」であることを観客が再確認するようになっている。

 虐殺シーンだけを延々映し出して、「これが真実だ!」と言い切るのは簡単だろう。だがエゴヤン監督は、これを『シンドラーのリスト』のような歴史再現ドラマにはしなかった。彼はここで「過去の真相など誰にもわからない」と言っているのだ。我々は過去の歴史を、自分の信じる「物語」として再構築するしかない。劇中劇の映画は映画に登場するサロヤン監督にとっての(そしておそらくはエゴヤン監督にとっての)「物語」であり、トルコ人役の俳優はそこからアルメニア人虐殺について彼なりの「物語」を作り始める。

 すべては「物語」なのだ。空港の税関で青年はフィルム缶にまつわる「物語」を語り、母親と義娘は夫と父親の死をめぐって異なる「物語」を語る。その「物語」は本当のホントに「真実」なのか? そうではあるまい。「物語」はあくまでも「物語」だ。でも人はその「物語」の中を生きるしかないのだ。

(原題:ARARAT)

初秋公開予定 シャンテシネ
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマグループ
宣伝:ギャガGシネマ風、アニープラネット
(2002年|1時間55分|カナダ)
ホームページ:
http://www.gaga.ne.jp/

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