春桜 ジャパネスク

2003/05/14 映画美学校第2試写室
鈴木清順監督が伊武雅刀と風吹ジュン主演で描くファンタジー。
男が出会った女は桜の花の化身だったのか……。by K. Hattori

 鈴木清順監督が1983年に製作したビデオ作品。トラックで桜の木を運ぶ中年の男と、彼の前に現れ一緒に旅をすることになった女。男は植木屋で、得意先の屋敷で伐採される予定だった桜の木を引き取り、移植する場所を探しているのだと言う。洒落っ気のある屋敷の主人は、移植したとき桜の木に残っていた花1輪につき、1万円の報酬を払うことを約束したから、男は花が散らぬようゆっくりと車を走らせるのだが……。

 製作時期は『陽炎座』と『カポネ大いに泣く』の中間点。製作は『ツィゴイネルワイゼン』から始まる浪漫三部作と同じ荒戸源次郎。ビデオで撮影されている作品なので、どうしても絵にコクがなく、清順流の美意識といったものはあまり伝わってこない。しかし物語の進展にしたがって、話がどんどん予期せぬ方角にずれていく感覚は、やはり独特のものだと思う。これは話に飛躍があるとか、筋道を省略しすぎているという問題ではない。もともと行くはずのないところに、一瞬のうちに連れて行かれるような感じなのだ。

 例えば盲目の女として登場した風吹ジュンは、一瞬にして目が開く。伊武雅刀が演じている植木屋は、いつの間にか手配書で追われる花泥棒ということになっている。じゃあこの男が「花1輪で1万円」と言っていた話はどうなってしまったのか? それはそれ、これはこれなのだ。

 映画に登場するのは、伊武雅刀演じる男と、風吹ジュン演じる女のふたりきりだ。だが言葉の中には、他の人間も登場するし、通りすがりの匿名の者たちとして数人の男も登場する。はっきり言えるのは、この映画に登場する「女性」は風吹ジュンだけだということ。彼女はこの映画の中で、桜の化身を演じているのだが、それが文字通り桜の精の実体化なのか、ひとりの女の中に桜の姿を象徴化させているのかははっきりしない。思うにこの映画の中では、風吹ジュンが演じる女の中に、世の中のすべての女性的なものを凝集している。そして伊武雅刀演じる男の中に、世の中のすべての男性的なものを凝集している。

 物語はどんどん脇道にそれながら、ぐんぐんスピードを上げていく。まるで夢を見ているような、フワフワとした現実喪失感。条理や因果律を無視したところに成立する、摩訶不思議な世界だ。こういうものが破綻せずに成立してしまうところが、清順監督の話術なのだろうと思う。物語自体はまったくわけがわからないのだが、わけがわからないなりに一本筋が通っているのだ。
 
 血しぶきが桜吹雪になるラストシーンは衝撃的。桜吹雪が日本人にとって「死」の象徴なのだということがわかっていても、こうして直接的に「死」と「桜」を結び付けられると、ちょっとギョッとしてしまう。女は死ぬが、やがてまた新たな生命として彼女はよみがえるのだろう。輪廻転生。死は新たな生に向けての旅立ちのようにも見える。男はそれに取り残されるのだ。

2003年7月中旬公開予定 ユーロスペース(レイト)
配給・宣伝:スローラーナー
(1983年|1時間20分|日本)
ホームページ:
http://www.slowlearner.co.jp/

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