WATARIDORI

2003/05/12 テアトル・タイムズスクエア
3年かけて渡り鳥の生態を撮影した大型ドキュメンタリー映画。
手間ひまかけて堂々と演出をしているのがいい。by K. Hattori

 '96年に昆虫たちの世界を描いたドキュメンタリー映画『ミクロコスモス』を作ったジャック・ペランが、同じようなコンセプトで渡り鳥の生態を描いたドキュメンタリー映画。製作に費やした年月は丸3年。製作費が20億円という大作だ。ただしこのドキュメンタリーは、自然に手を加えることなくありのままに撮影された映像記録ではない。『ミクロコスモス』もそうだったが、かなり入念な下準備をして素材に演出を施している。

 これは映画を注意深く観ていれば、すぐにわかるはずだ。撮影中のキャメラの前を、牛車やトラックがそうそう都合よく何度も通り抜けるはずがないのだから。演出の最たるものは、脚に網を絡めた水鳥が1年たって再びもとの川に戻ってくるシーン。そこにはちょうどいいタイミングで、水鳥を助けた少年がいたりする。こうした人間がらみのシーンは、すべて「お芝居」なのだ。ツルに餌をやる農婦も同じようなお芝居だし、水鳥の群れが猟銃で撃ち落とされるシーンも同じことだ。

 ドキュメンタリー作家のポール・ローサは、「ドキュメンタリーとはアクチュアリティ(現実)を創造的に劇化すること」と定義している。この映画は創造的な劇化というプロセスに途方もない手間をかけてはいるものの、紛れもなくドキュメンタリー映画なのだ。ドキュメンタリーの現場では「やらせ」と「演出」に、手法上の差異は存在しない。「創造的な劇化」のための働きかけがアクチュアリティ(現実)を損なわなければ「演出」であり、ありもしない現実を捏造してしまえば「やらせ」ということになるのだろう。

 この映画のほとんどのシーンは、鳥たちが空を飛ぶシーンだ。このシーンを撮影するために、鳥を卵から育てて人間の声や撮影用機材の音に慣れさせることが必要だったという。つまりこの映画に登場する鳥たちの中には、完全な野生の鳥とは到底言えない、人間の手で育てられた鳥たちが混じっているということなのだ。しかしそうした事実があったとしても、この映画の価値は少しも減じていない。こうした手間をかけたからこそ、列を組んで飛行する鳥の鼻先スレスレにまでキャメラを接近させるという密着撮影が可能になったのであり、あたかも映画を観ている人間が鳥と一緒に空を飛んでいるような映像が撮影できたのだ。

 だが人工飼育した鳥たちも、群れを組んで空を飛ぶという渡り鳥としての「アクチュアリティ」までは失っていない。鳥たちは撮影用の小型飛行機や気球、川面を併走する高速ボートや、群れの中にずかずかと入り込んでくる撮影クルーたちをまったく気にすることなく、渡り鳥としての「アクチュアリティ」をスクリーン一杯に展開させる。そのためには、人工飼育も飛行訓練も必要だった。これは「アクチュアリティ」の捏造ではなく、それをより効果的に表現する「創造的な劇化」に他ならない。

(原題:LE PEUPLE MIGRATEUR)

2003年4月5日公開 テアトル・タイムズスクエア、銀座テアトルシネマ他
配給:日本ヘラルド映画
(2001年|1時間39分|フランス)
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http://www.wataridori.jp/

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