あずみ

2003/05/10 日劇2
人気コミックの映画化だが、脚本が雑すぎてアクションも台無し。
若手が多い俳優たちの芝居も危なっかしすぎる。by K. Hattori

 小山ゆうの同名人気コミックを、北村龍平監督が映画化した時代劇アクション映画。前作『VERSUS』ではスピード感あふれるチャンバラを見せた北村監督だったが、今回の映画は脚本がダメすぎた。アクションがどんなに凄くても、話がこれじゃまったく盛り上がらない。映画は原作の序盤をほぼそのままなぞっているように思えるのだが、脚本はエピソードの構成と台詞がまるでダメだと思う。そもそもこの程度の物語で、なんで上映時間が2時間半もあるの? 脚本の構成を整理すれば2時間を切ることは十分可能だし、その方が映画のスピード感が出ただろうに。

 今この時になぜ『あずみ』という映画を作らねばならないのかという問題意識が、この映画からはまるで感じられない。これは監督の演出云々ではなく、プロデューサーや脚本家の意識の問題だと思う。映画の主人公あずみは、自分を育ててくれた老人の命じるまま、大名暗殺を繰り返すテロリストだ。彼らはそれを「使命だ」という言葉で合理化してしまうのだが、どうしてそんなテロが必要なのか、主人公たちがきちんと理解しているとは思えない。

 少年少女で構成されたこのテロ集団は、老人の命令に絶対従うようマインドコントロールされているのだ。何しろ「仲間同士で殺しあえ!」と老人が命じれば、昨日まで兄弟のように育った仲間たちを平気で斬り殺し、「これもまた使命のためだ」と納得してしまうような者たちなのだ。

 彼らは平和な時代に暮らしている我々から見ればモンスターである。映画の中では殺戮と暴力に酔う怪物のような男たちが何人も登場するが、あずみたちも「暗殺を通してしか自分の価値を実感できない」という意味では同じようにグロテスクな怪物なのだ。あずみと美女丸は雇う相手が違うだけ。あずみに命令を出す老人がたまたま徳川方で、美女丸が加藤清正に雇われていたというだけの話に過ぎない。

 「あずみ」という物語は、命令のままに人を殺すようマインドコントロールされていた少女が、「人を殺すことの意味」を再確認するようになるドラマではないのか。そのための通過儀式として、大道芸人の少女との道行きがあるのではないのか。だとすれば映画前半のあずみたちは、テロの技術を徹底して仕込まれたモンスターとして描かれなければならない。「平和を生み出すためのテロ」という矛盾した行動に駆り立てられる老人の苦悩を、もっと細やかに描かなければならない。

 ひとりの人間が一度に何十人もの敵を斬り伏せるチャンバラは、リアリズムを超えて成立するショーアップされた殺人ショーだ。これは「ショー」だからこそ、刃物で人間をぶった切るという残酷もある種の爽快感を持って見ていられる。だがそれだけでは単なる見世物。映画の中のチャンバラに血沸き肉躍らせるには、そこにドラマの息吹が感じられなければならない。だが『あずみ』にはそれが欠けている。

2003年5月10日公開 日劇2他・全国東宝系
配給:東宝、日本ヘラルド映画
(2003年|2時間22分|日本)
ホームページ:
http://www.azumi-movie.jp/

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