頭山

2003/03/13 映画美学校第2試写室
古典落語「頭山」をアニメーション化した作品。これは驚いた。
これをアカデミー賞候補にしたセンスは偉いものだ。by K. Hattori

 米アカデミー賞の短編アニメ賞にノミネートされている作品。監督は山村浩二。上映時間は10分間。けちん坊の男がサクランボを食べていたが、種を吐き出すのがもったいなくてそのまま種も飲み込んでしまう。すると頭の上ににょきにょきと桜の木が生えて、そこは桜の名所として人々が集まるようになる。あまりのうるささに腹を立てた男は桜の木を引き抜いてしまうが、今度はそこに水がたまって池になり、釣りや舟遊びの人々が集まり始める。男はとうとう、自分の頭の池に身を投げて死んでしまった……。ナンセンスな古典落語「頭山」の物語を、現代流にアレンジしてアニメーション化したものだ。

 古典落語はほとんどが江戸時代や明治時代に成立しているようだが、この話は江戸時代にできたらしい。江戸時代の落語はだいたいが小話に毛が生えた程度の短さだったそうで、それが明治大正に少しずつエピソードを付け加えて現在のような落語が出来上がったようだ。ところがこの「頭山」は、話があまりにも単純で、しかも奇想天外でシュールなため、これ以上肉付けのしようがない。何しろ頭の上から桜の木が生える。頭の上にでっかい池ができる。最後はその頭に向かって、本人が身投げする。こんな話は滑稽話にも人情話にも展開しようがない。誰が考え付いた話か知らないが、この発想はすごすぎる。天才的というより、これはもう狂気の世界だ。どこかが狂っている。

 言葉というのは不思議なもので、「頭山で大宴会」とか「頭に向かって身を投げた」とか、とにかく口で言ってる限りは何でもアリになってしまう。でもそれを映像にするとなると話はまったく別だ。この物語最大の謎は、男がどうやって頭の上にある池に身を投げるかにつきる。宴会や舟遊びは、それに比べればどうということはない。落語の口演では「頭に向かって身を投げた」と言われて、観客が少しキョトンとしているうちにそれがオチになればそれでいい。でもアニメという映像では、観客を「なるほど!」と思わせないわけには行かない。実際に映像になったこの場面を見ると、確かに男は頭山の池に身を投げている。いったいどんな方法でなのか? それが言葉ではうまく説明できない。説明するとくどくなる。映像で感じた「おお、なるほどそうなのか!」という面白味は、言葉にしてしまうことで逆に失われてしまう。この映画はナンセンス落語の「言葉でしか成立しない世界」を、アニメーションという「映像でしか成立しない世界」に見事に置き換えてしまった。

 アニメ版「頭山」には、他にも驚くべきシーンがいくつもある。花見の酔客が蹴り飛ばした靴が、男の食べているカップ麺のどんぶりに飛び込んでくるシーンには戦慄した。頭の上にはミニチュアの世界があるのではなく、そこには紛れもなく等身大の世界がある。どこかで空間のスケールがねじれているのだ。これがラストへの複線になっている。

2003年4月5日公開予定 ユーロスペース
(「ヤマムラアニメーション図鑑」の中の1本として)
配給:スローラーナー、ヤマムラアニメーション
(2002年|10分|日本)
ホームページ:
http://www.jade.dti.ne.jp/~yam/

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DVD:ヤマムラアニメーション図鑑
関連DVD:山村浩二監督
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