能楽師

2003/01/23 映画美学校第2試写室
能役者の関根祥六・祥人親子を取材したドキュメンタリー映画。
600年の伝統を背負う能楽の凄味が見えてくる。by K. Hattori

 観世流のシテ方として活躍する能楽師、関根祥六・関根祥人親子に密着し、日本の伝統芸能である「能楽」の世界を垣間見させるドキュメンタリー映画。監督は映画評論家でもある田中千世子。『藤田六郎兵衛・笛の世界』に続く監督2作目だが、取材対象に対する愛情と思い入れがしっかり詰まった映画に仕上がっていると思う。上映時間60分という、この手のジャンルの映画としても決して長くはない上映時間だが、構成がしっかりしているので物足りない感じは少しもない。舞台風景、稽古風景、家庭での様子、プライベートで見せる意外な顔、そして芸を極めた者だけが語れるであろう貴重な言葉の数々。それらがわずか60分の中にキッチリと収められている。

 この映画は関根親子を通して現代に生きる能楽師の姿を描いているのだが、描こうとしているテーマはもっと大きなものだ。それは観阿弥・世阿弥の時代から600年以上に渡って守られてきた、「能」そのものと言えるだろう。劇中にはまるでBGMのように、世阿弥が記した「風姿花伝」の朗読がかぶさってくる。(このナレーションを担当したのは佐野史郎。)600年前に書かれた演劇理論が、そのまま現代の舞台で息づいている能の世界。関根祥六は自分自身の芸を語る時も、しばしば世阿弥の言葉を引き合いに出す。「世阿弥さんのおっしゃっている○○は…」などと、世阿弥はまるで今も尚生きている人であるかのように語られている。世阿弥は今も生きているのだ。能役者たちが守ってきた数々の演目や、「風姿花伝」を始めとする数多くの伝書を通して。

 こうして600年をひとまたぎにする「能」の凄味を、この映画は要領よくまとめ上げていると思う。取材対象をひとりに絞らず、関根祥六・関根祥人というふたりにしているのがいい。年齢にして30歳ほど違うこのふたりの芸談が、能という芸能の奥深さを感じさせる。映画の導入部で力強く高く飛び上がった関根祥人の姿の直後に、父の祥六が自分自身の老いや体力の衰えについて語る。だがそれは自らが老いを自覚することによって到達し得た、芸の新たな高みについての話でもある。老いるほどに円熟していく芸術の世界だ。

 僕自身はこれまで能にまったく興味がなかったのだが、この映画の中で関根祥人が「よい動き」と「悪い動き」の見本を実演した時には驚いた。ほんのわずかな動きのタイミングの違いで、人間の体から伝わってくる緊張感がまったく違うのだ。身体表現のなんたる奥深さ! 「道成寺」の足の動きを鏡の前で稽古するシーンから、映画は実際の舞台へとポンと飛躍してみせる。ほとんど1ミリの何分の1という単位でコントロールされている肉体の微細な動き。体全体で舞台全部を掌握し、ひとつの宇宙を作り出していくエネルギー。

 巨大なセットも特撮もなしに、肉体だけで一大スペクタクルを演じる能楽師たち。すごい映画を観てしまいました。

2003年3月公開 ユーロスペース
2003年初夏公開予定 シネヌーヴォ(大阪)
配給:「能楽師」製作委員会 協力:パンドラ
(2002年|1時間|日本)
ホームページ:
http://web-wac.co.jp/group/filmvoice.html

Amazon.co.jp アソシエイト

DVD:能楽師
関連書籍:田中千世子
関連書籍:風姿花伝(世阿弥)

ホームページ

ホームページへ