シャクルトン奇跡の生還

2002/07/25 メルシャン品川アイマックスシアター
南極で遭難しながら全員が生還したシャクルトン隊の記録。
当時の貴重な写真やフィルムが観られる。by K. Hattori

 20世紀初頭。人類初の南極点到達を目指して、ノルウェーの探検家アムンゼンとイギリスのスコットが猛烈なレースを繰り広げたことはよく知られている。アムンゼンとスコットが相次いで南極点到達を実現した直後、かつてスコット隊の一員として共に極点を目指したこともあるイギリスの探検家シャクルトンは、新たな南極探検の計画を練っていた。それは犬ぞりと徒歩で、人類初の南極大陸横断を行なおうとするものだった。

 新聞広告で5千人の応募者から選りすぐられた精鋭27名と共に、帆船エンデュアランス号は1914年8月にロンドンを出発。だが南極到着直前、船は流氷の海で立ち往生し、やがて分厚い氷に押しつぶされるように沈没してしまう。時は1915年11月21日。救助を求めるための通信手段など、当時は何もない。そもそも救助を求めたところで、これほど極地に近い場所には誰も近づくことさえできない。シャクルトンたちは船から持ち出した備品を使って流氷の上でキャンプ生活をしながら、自力で脱出する機会をうかがっていた。

 アイマックス向けの新しい大型映画は、シャクルトン率いる探検隊が南極での遭難から奇跡的に全員生還するという実話を取り上げたドキュメンタリー。探検隊の写真家フランク・ハーレーが残した写真やフィルムと、アイマックスカメラで撮影された再現フィルム、さらには現代の有名な探検家たちのコメントなども巧みに盛り込んで、偉大な探検家でありリーダーであったシャクルトンの業績を描き出している。

 映画が焦点を当てているのは、1914〜16の探検における遭難と奇跡的な脱出劇だ。シャクルトンはこれ以前にも南極探検の功績で「サー」の称号を持つ英雄だし、映画に登場する探検以後も南極探検に出向き、1921年にはサウスジョージア島沖の船上で亡くなり島に葬られたという。だがこうした諸々のことは、映画からはすっかり割愛されている。映画はピタリと遭難事故の顛末だけに照準を合わせ、そこから危機に瀕した時真価を発揮するシャクルトンの強烈な個性、強靱なリーダーシップを浮かび上がらせてくるのだ。

 危機に瀕した時、その後の最悪の状況を考えて行動するネガティブ思考の人と、その後は何とか未来が開けるはずだと楽観的に考えるポジティブ思考の人の2種類がいる。シャクルトンは完璧な後者だったように思う。だが彼とて 「この先何とかなるや」とただ気楽に考え行動しているわけではない。ありとあらゆる手だてを講じ、自分にできるだけの準備や努力をした後で、「ここまでやったのだから大丈夫!」と言い切れる強さが彼にはあったのだろう。

 最近気になるのは、小泉首相や田中康夫はなぜあんなに小声でぼそぼそ喋るのかということ。ひそひそ声で話すリーダーなんて信頼できないよ。リーダーたる者は腹の底から大声を出してほしいぞ。

(原題:SHACKLETON'S ANTARCTIC ADVENTURE)

2002年10月1日公開予定 メルシャン品川アイマックスシアター
配給:株式会社さらい 宣伝:マンハッタンピープル
(2001年|40分|アメリカ)

ホームページ:http://www.sarai-inc.com/

Amazon.co.jp アソシエイトDVD:シャクルトン奇跡の生還
関連書籍:シャクルトン
関連書籍:エンデュアランス号

Click here to visit our sponsor

ホームページ

ホームページへ