十七歳

2002/07/22 TCC試写室
井上路望の同名ベストセラー・エッセイをもとに作られた青春映画。
ユーモアのない青春映画は観ていても辛くなる。by K. Hattori

 井上路望のベストセラーエッセイ「十七歳」(ポプラ社刊)を、『アイコ十六歳』『すももももも』の今関あきよしが映画化した青春映画。脚本はいしかわ彰。主演は滝裕可里と忍成修吾。学校でのイジメ、クラスメートの援助交際、生徒の個性を押しつぶす管理教育、複雑な家庭環境、他人のプライバシーにずかずかと入り込んでくる周囲の好奇な眼差し。そういったウットウシイ現実を、主人公の目から丁寧に描いている。でも僕はこの映画が好きになれない。

 ここには一切のユーモアがないのだ。ユーモアのなさとは、余裕のなさということだ。ウットウシイ現実を「バカばっかし!」の一語で突き抜けていくヒロインの行動に余裕が感じられないと、この言葉は追いつめられたあげくの居直りにしか聞こえない。現実から一歩距離を置いて、周囲の人々も自分自身もある程度客観視できるゆとりがなければ、ここに描かれているのは単なる「可哀相なワタシの弁明」でしかなくなってしまう。「バカばっかし!」は確かにその通りでしょう。でもその「バカ」の中には、当然自分自身も入っていなければならない。でないと「世の中はみんなバカだけど、ワタシはかしこい」という、どうしようもなく高慢で鼻持ちならない言い分に聞こえてしまう。「ワタシってバカ」「お母さんもバカ」「クラスメートもみんなバカ」「先生もバカだ」となった上での「バカばっかし!」じゃないのかな。

 こうした映画になってしまった原因が、脚本にあるのか演出にあるのかはちょっとわからない。映画を観ていると、主人公が周囲の世界に向ける憎悪ばかりが強調されているのだけれど、エピソードとしてはバカな人間が持つ滑稽味も盛り込もうとした部分が見受けられるのだ。おそらくこれは、演出の問題なのだろう。例えば主人公の母親がパートで働くスーパーで、同僚の従業員たちがやたらとお節介を焼くというシーンも、映画からはその言葉の裏側に明らかに軽蔑や中傷の意図が感じられる。でもこれはもともとそれほど明白な悪意があるわけではなく、単なるお節介であったり好奇心であることがほとんどだと思う。もちろん無意識のうちに悪意が介在することもあるだろうけれど、本人たちはそれを悪意だとは思っていない。だから言葉遣いがこんなにネチネチすることはなく、もっと明るく屈託がないシーンにすべきでしょう。
 
 同じようなことは、学校の教師の描き方にも言える。彼らには悪意がまったくない。彼らは鈍感なのです。鈍感であるがゆえに、自分たちが生徒の個性を押しつぶしているなどとは夢にも思わない。繊細な十代の子供たちを傷つけても、鈍感だからそれに気づかない。だからこそさんざん厄介者扱いして放り出したヒロインが本を出せば、ニコニコしながらそれを読んで大喜びできる。彼らは自分たちに何らやましいところがあるとは思わない。これを「バカばっかし!」と言わずになんと言う?

2002年9月28日公開予定 テアトル池袋
配給・問い合せ:パル企画
(2002年|1時間35分|日本)

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