フォーエヴァー・モーツアルト

2002/04/16 メディアボックス試写室
ゴダールが1996年に作った、演劇と戦争と映画と音楽についての物語。
物語はまるでチンプンカンプンだが、ゴダールだしねぇ……。by K. Hattori

 1996年にゴダールが撮った長編劇映画。大物プロデューサーから「宿命のボレロ」という通俗的メロドラマを撮るように依頼された映画監督ヴィッキー・ヴィタリスの物語と、戦火のサラエヴォでミュッセの「戯れに恋はすまじ」を上演しようとする若者たちのエピソードが並行していくのだが、わずか1時間半に満たないこの映画のプロットが、僕にはまったく理解できない。登場する俳優たちがまったく馴染みのない顔ばかりで、しかも場面は平和なパリからサラエヴォの戦場に移り、さらに映画撮影現場に移動し、最後は地方の小さな映画館へと動いていくめまぐるしい展開。こうなると誰が誰だかさっぱりわからず、エピソードの連続性さえ把握しにくくなってしまう。たぶんこの映画を3回か5回ぐらい観ると、なにがしかの流れは理解できると思うけれど、そこまでしてこの映画を「理解したい!」と願う観客はまれかもしれない。ひょっとするとこの映画は、そうした「まれな観客」に向けてのみ作られているのかな。

 おそらくゴダールは、物語を説明するために、説明のためだけの場面を作ることを潔く思っていないのだ。「エピソードA」から「エピソードC」への流れを説明するには、間にある「エピソードB」を作っておいた方がわかりやすい。でも説明だけの「B」を作るのはやめて、いきなり「A」から「C」を直結させてしまうのがこの映画なのではないだろうか。こうした省略法は映画の基本的テクニックかもしれないけれど、この映画は省略が極端で、「A」の次に「C」が来るどころか、「A」の次にいきなり「F」が来たりするから観ていると混乱する。A・C・D・F・G・Iとエピソードが流れていけば、観ている方は間に省略されたエピソードが少しずつ存在することがわかるし、その省略分を想像力で補うことが出来る。でもいきなりA・F・J・Qというつながりを見せられても、観客からはまるでチンプンカンプン。この映画はその結果の1時間24分なのだ。

 この映画は監督が作りたいところだけしか作っていないから、その「作られたところ」はかなり充実した面白い場面になっている。例え話がチンプンカンプンだったとしても、映画序盤のオーディションのエピソードは面白いし、映画中盤の戦場の不条理劇もかなり強烈なブラックユーモアだ。映画終盤の映画撮影シーンも、映画製作を巡るトラブルについての話も相当に辛辣で、観客は思わず苦笑いするしかないと思う。

 唐突に始まるひとつひとつのエピソード。その中に唐突に挿入され、突如断ち切られる音楽。映画を観ていて、次の瞬間に何が起きるかわからない。先日観た『ウィークエンド』もかなりぶっ飛んでいたけれど、この映画もその流れの中にあるぶっ飛んだ映画だと思った。こうした演出は、分析して再現しようと思ってもたぶん普通の人には無理だと思う。おそらくこれが作り手の体質であり、生理的なリズム感のようなものなのだ。これを「才能」と感じるか「デタラメ」と感じるかは、観客の自由。

(原題:FOR EVER MOZART)

2002年6月公開予定 ユーロスペース
配給:フランス映画社

(上映時間:1時間24分)

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