ヴェルクマイスター・ハーモニー

2002/03/29 映画美学校第2試写室
ハンガリーの芸術家映画監督タル・ベーラの最新作。
上映時間2時間25分の芸術作品。by K. Hattori

 映画は芸術ではなく娯楽である、というのが僕の考えだ。だが時として、芸術作品としか言いようのない映画に出くわして面食らうことがある。ここで僕が「芸術作品」とか「芸術家」と言ったとき、それは必ずしも褒め言葉ではない。独りよがりで、難解で、観客のことをまったく考えていない映画のことを、芸術作品と呼んでいたりする。芸術家とは自分の作ったものが観客にどう評価するかをまったく考慮することなく作品を作り続けられる、強固な自負心と図々しさを持っている。「俺は俺の道を行く。付いてこられる奴だけ付いてこい!」というのが芸術家の生きる道。大勢が付いてくればその芸術家は金持ちになれるけれど、自分のあとに人っ子ひとりいないとしても、芸術家は観客におもねったり出来ず、自分ひとりで我が道を行くしかない。

 この映画を作ったタル・ベーラというハンガリーの映画監督に、はたしてどの程度の支持者がいるのかはわからない。しかしこの監督が「観客のため」に映画を作っているわけでないのは明らかだから、やはり困った芸術家のひとりなんだろうと思う。『この映画は私にとって単なる物語以上の意味があります。これは、永遠の衝突について−本能的な未開と文明化を巡る数百年の争い−全東欧のこの2世紀を決定付けた歴史的経緯に関する作品です。/言うなれば、飢えや苦難で堕落した文化と、キリスト的西洋文化を二分する、目に見えない壁です。』(以上プレスより抜粋)と監督に言われても、僕にはそれがチンプンカンプンでまったくわからない。普通はこうして作品の解題をしてもらうと、「ああ、なるほどそういう意味だったのか」と多少は腑に落ちる部分もありそうなものですが、この映画についてはそうした面がまったくない。監督がどう説明しようが、この映画は僕にとってまったく歯が立たない「芸術品」なのだ。

 タイトルの『ヴェルクマイスター・ハーモニー』というのは、現在の平均律の原型になった音楽理論なのだそうです。劇中に登場する老研究者が、ピアノを前にしてヴェルクマイスターの功罪について語る場面がある。しかしこの映画は音楽映画ではない。ハンガリーの小さな町を包み込む、不安と暴力についての映画です。ヴェルクマイスター云々という高尚な音楽理論は、サーカスの見せ物や広場にひしめく不穏な群衆といった物事の対極にあるものとして、物語にコントラストを作り出す。

 モノクロームで2時間25分という上映時間は、必ずしも長いわけではない。スピルバーグ『シンドラーのリスト』は、この映画より50分も長い。だが問題はスピルバーグが観客へのサービス精神旺盛なエンタテインメントの人であり、タル・ベーラは紛れもない芸術家だということだ。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』の2時間25分は、かなりしんどい。僕は金曜日の3本目の試写にこれを選んでしまったので、映画が終るともうグッタリだった。この映画がしっくり来る人もいるのでしょうけれど、僕はまったくダメでした。

(原題:WERCKMEISTER HARMONIAK)

2002年6月下旬公開予定 ユーロスペース
配給:ビターズエンド 宣伝:スリーピン

(上映時間:2時間25分)

ホームページ:http://www.bitters.co.jp/

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