壊音 KAI-ON

2002/03/28 映画美学校第2試写室
篠原一の同名小説を奥秀太郎監督が映画化した作品。
クライマックスの校舎破壊は衝撃的だった。by K. Hattori

 文學界新人賞を17歳で受賞した篠原一の「壊音 KAI-ON」を、『日雇い刑事』の奥秀太郎監督が映像化した1時間14分の実験的映画作品。台詞はない。ストーリーもあまり明確ではない。ドラッグで酩酊状態になった数人の中学生が、ぐらぐらと揺れ動く街の中をさまよい歩く様子を、映像と音楽で描き出していく。『日雇い刑事』と同じくデジタルカメラで撮影してMacintoshで編集した低予算映画だが、『日雇い刑事』と『壊音 KAI-ON』を比べれば断然『壊音 KAI-ON』の方が面白い。最初から物語を語ることを放棄し、ひたすら映像と音だけを積み重ねて観客を圧倒しようとする姿勢がまずは潔い。ひょっとしたら作り手は何かしらの物語をここで展開しているつもりなのかもしれないが、この映画は時間軸にそってリニアに進行していく物語の流れを徹底的に破壊し、粉砕し、ぐちゃぐちゃにこね合わせる。出来上がるのは、映像の粗挽きハンバーグ。肉も野菜も原型はとどめていないが、噛めば味わい深くジューシーな肉汁がしたたり落ちる。これは結構、面白いじゃないか。

 主演は宮道佐和子、岡光美和子、小林愛という3人の若い女優だが、それがセーラー服でもなければブレザーにスカートでもなく、詰襟の学生服を着ているというのがミソ。この映画はそもそも根本部分に、性別と服装の倒錯というズレを内包しているのだ。このズレをズレとして認識できるのは、主人公たちが「学校」という社会に所属しているからだ。彼ら(彼女ら)は学生服を常に身につけていることで、学校という社会から切り離されることなく、崩壊する世界の中を旅し続ける。あちこちをさまよい放浪してきた彼らが、最後に再び戻ってくるのはやはり学校だ。そして次の瞬間、学校は音を立てて崩壊する。ここにはタネも仕掛けもない。古い木造校舎をシャベルカーが粉砕する様子を撮影したこの場面は、この映画のクライマックスであり、映画の中でもっとも僕に衝撃を与えたシーンだった。

 この学校破壊が、なぜここまで衝撃的なのか。ミニチュアセットに人物を合成するような手段をとらず、実際に古い校舎を壊している現場に女優を立たせ、実際にその場でトリックなしの撮影をしているというのも確かに迫力を生みだしている原因ではあるだろう。だがそれ以上に、壊されているのが「学校」であることが、僕に衝撃を与えたのだと思う。この映画の中では、学校という場所が社会全体を、世界全体を象徴している。物語は学校から始まり、主人公たちは常に学生服を着込み、学校や学生という属性から決して自由になることはない。学校や校舎という場所は、この映画の中ですべての登場人物の属性を規定する前提となっている場所だ。その前提が壊されることは、まるで足下から突然地面が消え去るような衝撃を感じさせる。しかし理由はそれだけか。

 この映画に登場するような木造校舎に、僕も以前通っていたことがある。それがこの映画に、僕が大きな衝撃を感じた理由かもしれない

2002年5月11日公開予定 テアトル新宿(レイト)
宣伝協力:スローラーナー

(上映時間:1時間14分)

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原作:壊音 KAI‐ON(篠原 一)
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