孤高

2002/03/15 シネカノン試写室
フィリップ・ガレル監督が1974年に製作したサイレント映画。
主演はニコとジーン・セバーグ。by K. Hattori

 新作『夜風の匂い』が公開中のフィリップ・ガレル監督が、1974年に製作した異色の長編映画。なんとこの映画、普通の意味での「映画」ではないのです。出演はガレルと公私ともに渡るパートナーだったニコと、『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグ。このふたりの女性の表情を、カメラが淡々と撮影している。合間に挿入される、苦悩する男性の表情。無表情なニコに対し、セバーグはカメラの前で笑い、涙し、悲しげな表情でカメラを見つめる。ただそれだけの映画です。ここには物語がない。ここには音楽がない。ここにはそもそも音がひとつも付いていない。タイトルも表示されず、エンドクレジットもない。現像所で粗編集すらしていない撮影済みのラッシュフィルムを観させられているような、なんとも奇妙なモノクロ80分の体験でした。

 どのような事情からこの映画が作られたのか、僕にはちょっとわからない。この映画は観る人の数だけ、内容の解釈が可能でしょう。ある人にとってこれは、映画になり損ねたフィルム屑かもしれない。しかし別のある人にとって、心を打つ感動的な作品かもしれない。フィリップ・ガレルの作品をそれほど観ていないので、僕はこの映画が彼のフィルモグラフィーの中でどんな位置づけのものなのかすら知らない。しかしこの映画に登場するふたりの女の対照的な描き方から、このフィルムがどんな設定で撮影されていたのかを読み解いていくことは容易だと思うのです。以下は僕の解釈。

 ジーン・セバーグが演じる女は人妻です。薬指にはめられた指輪が、彼女の立場を物語っています。カメラは人物の見た目視点から撮影されていますが、これはおそらくセバーグ演じる女性の夫の視線でしょう。彼女は夫の前で時にくつろいだ表情を見せ、無邪気に笑い、泣き叫び、何事かを語りかけ、悲しげに微笑む。まるでセバーグの百面相です。これに対して、ニコはいつも無表情。セバーグとニコは、ひとりの男をめぐる対照的なふたりの女として画面に登場します。これはひとりの男(カメラの男)とふたりの女性の、三角関係のドラマなのです。映画を観ていると、セバーグの登場シーンは必ずしも時系列につながっていないことがわかります。同じシーンが反復して登場することから、これがカメラの男の単なる見た目視点ではなく、男の記憶を再現したものだとういことがわかってくる。説明的なシーンがほとんど存在せず、もっぱらセバーグのクローズアップばかりが続くのは、それが男にとって忘れがたいものであるからに他ならない。男の苦悶の表情からは、こうした記憶の風景が、永遠に失われたものであることがうかがえます。かつて愛し生活を共にした女が、今は彼の前から何らかの理由で永遠に立ち去ってしまったのでしょう。

 僕がこうした解釈をするのは、ジーン・セバーグの不幸な死という事実があるからかもしれません。『勝手にしやがれ』から15年後のセバーグ。死の5年前のセバーグの姿がここには記録されています。

(原題:Les hautes solitudes)

2002年5月公開予定 シネ・アミューズ
配給:スローラーナー

(上映時間:1時間20分)

ホームページ:http://www.slowlearner.co.jp/

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