トンネル

2002/02/08 映画美学校第2試写室
「ベルリンの壁」の地下に掘ったトンネルからの大脱走作戦。
1本のトンネルを巡る人間ドラマの数々。by K. Hattori

 第二次大戦後、敗戦国ドイツは東西ふたつの国に分断された。旧ドイツの首都ベルリンも東西ふたつの区域に分割されたが、当初は市民の東西市街地往来は自由に行われていたという。だが冷戦状態の中で東ドイツ側から西側に亡命する者が続出。東ドイツはこうした状態に業を煮やし、ついに1961年8月13日、東西ベルリンを分断する鉄条網を敷設する。これが「ベルリンの壁」だ。壁はその後より本格的なコンクリート造りへと姿を変えていく。ベルリンの壁は東西冷戦とドイツ分断の象徴となり、'89年11月9日の崩壊まで存在し続けた。この映画は危険と困難の中で、西ベルリンから東側に長いトンネルを掘り、家族や友人たち29名を脱出させることに成功したという“実話”の映画化だ。

 僕はまったく不勉強で、この映画がどの程度実話に忠実なのかはわからない。しかしプレス資料には映画の主人公ハリーのモデルになった男性のインタビューが掲載されているし、トンネル掘りを取材したNBCのドキュメンタリー番組についても記述があったから、少なくともトンネル掘りについては事実そのままなのだと思う。ただし100%が事実そのものだとは思えない。モデルの男性は東ベルリンに残っていた妹と再会したのが「トンネルの入口に立っていた時、東ベルリン側で再会しました」と述べているが、映画ではまったく別のシチュエーションが描かれているからだ。おそらくこのあたりは映画のクライマックスを盛り上げるために、映画的な脚色を施したものなのだろう。(もちろん僕は実話をしらないので、脚色だと断言もできないのだけれど。)東西ベルリンを結ぶ脱出用トンネルは10本以上掘られたと言うから、ひょっとすると映画化の段階で幾つかのエピソードを組み合わせているのかもしれない。

 監督はベルリンの壁ができた'61年生まれのローランド・ズゾ・リヒター。物心付いた時から「壁」があった世代の監督が、壁の崩壊後に作った映画だ。この映画は「壁」の存在に怒りを向けているが、それは表面的には10年以上前に解決済みの出来事に対する怒りであり、それを取り上げて「何を今さら」とこの映画を批判する向きもあると思う。壁が消えた後で壁の存在を非難しても、それは何の政治的なメッセージにもなり得ない。

 しかしこれは「壁が消えた後」の今だからこそ、感動的な映画になり得ているのだと思う。壁がある時代にこの映画を作れば、この映画は西側から東側への体制批判、壁の不当性や非人間性を訴えた政治的プロパガンダになってしまっただろう。壁が消えた今この映画を作ることで、この映画は「現在の世界情勢」「現実の国際政治」という局地的な視点から離れて、普遍的な人間ドラマになっているのだ。家族愛、信頼、友情、恋、裏切り、情熱、失望など、あらゆる感情のせめぎ合いがトンネルとその両側に生じる。この映画は人間が人間らしく生きるには、何よりも「自由」が必要であることを訴えている。管理された安楽な暮らしは、欺瞞に過ぎないのだ。

(原題:DER TUNNEL)

2002年GW公開予定 シャンテシネ
配給・宣伝:アルシネテラン

(上映時間:2時間47分)

ホームページ:http://www.alcine-terran.com/data/tunnel/tunneltop.html

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資料:ベルリンの壁

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