ぼくの神さま

2001/11/26 GAGA試写室
ナチス時代のポーランドを舞台にした少年たちの成長物語。
主演はハーレイ・ジョエル・オスメント。by K. Hattori

 『シックス・センス』『A.I.』の天才子役ハーレイ・ジョエル・オスメントが、ナチ占領下のポーランドで生き抜くユダヤ人少年を演じたヒューマンドラマ。終始不安におののき、迫害の恐怖に怯えて暮らす、つぶらな瞳のいたいけな少年という役回りは、もうすっかりオスメント君の持ちネタと化している。監督・脚本は『スリー・オブ・ハーツ』が印象に残るユレク・ボガヴィッチ。アメリカで活動している監督だが、彼自身はポーランド出身だという。撮影はポーランドで行われたらしいが、台詞はすべて英語。ただし発音がどこかぎこちなく聞こえる。これは「東欧なまりの英語」ということなんだろうか。出演者はオスメントと神父役のウィレム・デフォー以外はすべて無名のキャスト。映画の規模としてはごくごく小さなものだと思う。

 ポーランドの裕福なユダヤ人一家に育った11歳の少年ロメックは、ナチスの迫害を避けるため両親のコネを使って知り合いの農夫グニチオの家に避難する。ロメックは親戚の子供として、農家のふたりの息子ヴラデックとトロと一緒に学校や教会に通い始める。ロメックの素性を知っているのは、グニチオとその妻、それに村の神父だけだ。だが隣家の農夫は、ロメックがユダヤ人であることに薄々気づいている様子。家の中でも年下のトロはすぐにロメックと打ち解けるが、同じ年格好のヴラデックはロメックの存在をうっとうしがって諍いが絶えない。村には占領軍のドイツ兵がうようよしている。その中でロメックは、ユダヤ人である素性を隠して生き延びることができるのだろうか……。

 物語や芝居はともかくとして、僕はこの映画の演出に最初から失望してしまった。監督が自分の祖国の隠された歴史を映画にするにあたり、かなりの思い入れを込めたことはよくわかる。しかしこの映画は、その思い入れが過剰すぎてうるさいのだ。ロメックが両親と別れて町から脱出する映画冒頭のシーンは、最初から少年と両親が泣きじゃくり、そこに感傷的な音楽がべったりと覆い被さるという押しつけがましい演出。ここは別離の悲しみより、脱出できるか否かの緊張感を高めていくシーンのはず。監督自身が書いた脚本も、そういう構成になっている。仮にここで別離の悲しみを描くのだとしても、この音楽は余計だと思う。音楽が観客より先に泣いてはならない。まずは芝居で観客の心を揺り動かし、涙腺を十分にゆるめ、その後に最後のだめ押しとして音楽が静かに流れ始めるというのがこういう場面の定番演出だろうに。なぜ最初から観客に「ここは泣ける場面ですよ」と説明するような音楽の使い方をするのだろう。こうした押しつけがましさは、映画全体の傾向でもある。

 物語の中ではトロの“犠牲”が大きなテーマになっているのだが、これが何に対する犠牲なのか映画を観ていても釈然としない。もちろん理屈の上ではわかるんだけど、映画を観ているときは単に物語の帳尻を合わせるだけのように見えてしまう。全体にまとまりの悪い映画だ。

(原題:EDGES OF THE LORD)

2002年陽春公開予定 日比谷スカラ座2・新宿文化シネマ4
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

(上映時間:1時間38分)

ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/boku/

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