かあちゃん

2001/10/29 イイノホール
山本周五郎原作。和田夏十の脚本を市川崑監督が映画化。
市川監督の実験精神が見える人情時代劇。by K. Hattori

 市川崑監督の最新作は、前作『どら平太』と同じ山本周五郎原作の時代劇。もともと大映で他の監督のために市川監督と夫人の和田夏十が書いた脚本だったが、映画化するにあたって長編用の脚本を中編向けに縮めるなど大幅な手直しを余儀なくされ、映画も市川・和田両名にとっても不本意なものだったという('58年『江戸は青空』西山正輝監督)。今回は市川監督念願の再映画化にあたって、竹山洋に脚本を加筆させたという。

 物語の舞台は、天保の改革のあおりを受けて大不況に陥った江戸の町。貧乏な長屋暮らしをしながら、一家総出で働いてこつこつ金を貯めているおかつと子供たちは、近所付き合いの悪いけちん坊一家として評判が悪い。ところがその金を盗もうと家に入り込んだ泥棒は、おかつから一家が金を稼いでいる理由を聞かされる。この金は知り合いの男を助けるために、どうしても必要な金。一家はこの3年間、貧乏な生活をさらに切りつめて金を作ったのだ。「この話を聞いた上で、それでも金が欲しいなら持ってきな」と言い切るおかつを前に、若い泥棒は手も足も出ない。それどころかこの泥棒は、そのまま一家の一員として家に居候することになってしまう。

 おかつ一家がとにかくいい人。他人を疑うことなくすべてを受け入れてしまう善人の集団として描かれる。泥棒に入った勇吉も根は悪い奴ではないし、酒飲みの大工熊さんも、居酒屋でおかつ一家の悪口を言っている隣人たちも、だみ声の大家さんも、市中見回りのお役人も、とにかく全員が愛嬌のある人物として描かれている。ここまで善人ばかりだと薄気味悪くさえ感じるが、その薄気味悪さもまた「こんなところに長居はできない」という勇吉の気持ちを後押しする動機付けにしてしまうのだから、この話はなかなかよくできている。

 映画は全体がきわめて平面的に構成されている。悪人のいない人物配置。大事件の起きないドラマ。銀残しの技法を使った彩度の低い画面。人物の出し入れや場面転換のリズムも単調。登場人物の台詞は棒読みのようだし、感情表現もひねりがなくてストレート。状況や心理を説明する台詞も多い。これが中途半端だと「下手くそ!」ということになるのだが、この映画はどう考えても確信犯だ。こうした平板さの中に物語を塗り込めることで、この映画は通俗的なリアリズムの世界から一歩距離を取ることに成功している。映画というリアリズム指向の表現技法の中で、この作品が作り出そうとしているのはむしろ落語が持つ空間表現や人物表現かもしれない。居酒屋での4人組の会話、大家の登場シーン、勇吉が自分の気持ちをやたらと口で説明したがる部分などは、誰がどう見たところで落語から借りてきた表現だ。

 この脚本をストレートに映像化すると、いかにも俗っぽくてリアリティのない絵空事になってしまう。この映画は落語的な表現技法を借りることで、この人情話を現代に通じるモダンなドラマに仕上げているのだ。市川崑監督の実験精神には、まったく驚かされてしまう。

2001年11月10日公開予定 みゆき座他・全国東宝洋画系
配給:東宝

(上映時間:1時間36分)

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