地獄の黙示録
特別完全版

2001/10/22 東京国際フォーラムホールC
フランシス・コッポラが自らの代表作を大胆に再編集。
話もテーマもわかりやすくなったけど、長い。by K. Hattori

 コッポラが1979年に作ったベトナム戦争映画を、自ら再編集した3時間23分の完全版。2時間33分のオリジナル版(これでも十分に長い)にまったく存在しないシーンやエピソード、最終的に短くカットされた芝居などがいくつか復活している。僕はオリジナル版を日本公開の時に観ているが、当時はこの映画がひどく難解だとされて、さまざまな謎解きや解釈が映画雑誌の誌面を賑わせていたように記憶する。僕自身はそうした謎解きに特に興味はなく、劇中に登場する圧倒的な迫力の戦闘シーンに目を奪われていた。僕にとってこの映画の見どころは、映画前半にあるヘリコプター部隊のベトコン集落壊滅作戦につきる。当時中学生の僕はこのシーンにひどく興奮したんだけど、今観るとこのシーンはグロテスクで気が滅入るのだ。それは僕が成長してこのシーンに描かれた「戦場の狂気」を読みとることができるようになったためか、はたまたコッポラの再編集によってシーンの意図がより前面に出てきたためか、あるいは今まさにこの時、アフガニスタンではアメリカ軍による武力攻撃が行われているためか……。何にせよ『地獄の黙示録』を代表するこの大戦闘シーンが、まったく楽しめない自分にちょっと驚いてしまった。

 ベトナム戦争末期。軍の統制を離れてカンボジアのジャングルに自分の王国を築いたカーツ大佐を暗殺せよとの命令を受けて、ウィラード大尉が小さな哨戒艇でベトナムの川をさかのぼっていく。ウィラードと行動を共にする兵士たちには、任務も目的地も知らされていない。彼らは行く先々で戦争の狂気をかいま見る。狂気がもたらすのは、際限のない無秩序と混沌だ。ウィラードはこの旅の中で、少しずつカーツの心理を理解していく。はたしてウィラードはカーツを殺せるのか?

 これは戦争映画である前に、小さなボートに乗り合わせた男たちがたどる「旅」を描いたロードムービーだ。戦闘シーンは男たちが旅の中で体験し目撃する「風景」として描かれており、それが旅自体の行方を大きく左右することはない。主人公ウィラードの周囲は混沌としている。そこでは善と悪、美と醜、正義と不義が入り乱れる。その混沌の中で何かしらの秩序を維持しているのは、ほんの些細な事柄でしかない。ウィラードにとってそれは与えられた「任務」だし、キルゴアにとっては「ワーグナー」と「サーフィン」だ。フランス人入植者たちは「家族を守る」ということで団結している。だがそうした目的を見つけられない者たちは、自分自身が何者かさえ見失うような混沌の中に放り出されて右往左往するしかない。例えばプレイメイトの女たちや、司令官を失った橋の守備についているアメリカ兵たちがそうだ。カーツは混沌とした世界から逃れて自分の王国を作り上げるが、そこもまた大いなる混沌に満ちた世界だ。

 再編集で付加されたシーンによって、『地獄の黙示録』はすごくわかりやすい映画になっている。だが面白いかどうかはまた別の話。やはりちょっと長すぎるなぁ。

(原題:APOCALYPSE NOW REDUX)

2002年正月第2弾公開予定 日本劇場他・全国東宝洋画系
配給:日本ヘラルド映画

(上映時間:3時間23分)

ホームページ:http://www.apocalypse.jp/

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