URAMI
怨み

2001/08/23 映画美学校第2試写室
ジョージ・A・ロメロ監督の最新作は、現代人のための寓話。
顔のない男の連続殺人にはアイロニーがある。by K. Hattori

 『ゾンビ』シリーズの生みの親、ジョージ・A・ロメロ監督の最新作。劇場映画としては'93年の『ダーク・ハーフ』以来の作品なので、本当に久しぶりの新作映画ということになる。ロメロはドキュメンタリー映画『アメリカン・ナイトメア』にも出演しているが、その時の印象は「すっかり過去の人」という感じだった。'80年代には作品を連発していた監督が'90年代にぱったり作品を撮れなくなってしまったのは、ロメロの言い分によれば新作の企画がメジャースタジオの企画会議でたらい回しにされていたからだという。ロメロは新作の企画を抱えたまま6年間を棒に振り、結局はメジャーでの映画製作に見切りを付けてインディーズに戻ったわけだ。

 『URAMI/怨み』という邦題は『TATARI』の二番煎じみたいで新鮮味もないしダサイと思うけど、映画自体は邦題ほどにはひどくない。むしろよくできた大人のファンタジー映画だと思う。物語の主人公ヘンリー・クリードローは、会社では横暴な上司に媚びへつらい、家では美しい妻にバカにされている。それでも生活を守るため、我慢に我慢を重ねる毎日。しかし彼はある日、自分の上司が妻と不倫関係にあることを知ってしまう。だがそんな妻と、別れることができないヘンリー。妻を愛しているからではなく、生活を変えるのが恐いのだ。だが翌日目が覚めた時、ヘンリーは「顔のない男」になっていた。彼は家の中で盗みをする家政婦を手始めに、自分を裏切った妻、金を盗んでいた親友、そして上司などを次々と血祭りに上げていく。ヘンリーを演じているのは『グリード』で怪物に頭から食われ、『スナッチ』でブラピの相棒役だったジェイソン・フレミング。上司ミロ役は『ファーゴ』の無口な殺し屋ピーター・ストーメア。

 生活のため、家族のため、仕事のため、マイホームのため、人間は本来の自分の顔の上に、別の仮面を付けて暮らしている。その仮面こそが「社会に認知された自分」なのだ。しかしその仮面の下にどんな素顔があるのか。この映画の主人公ヘンリーは、会社を捨て、家庭を捨て、すべての社会的な仮面をはぎ取った後に、自分自身に「本当の顔」などないという事実に気がつく。「会社勤めをしている自分」「妻の夫である自分」「友人たちと如才なく付き合っている自分」といった社会的な役割から切り離されると、ヘンリーはどこの誰でもない「顔のない男」になってしまうのです。この映画ではそれを、素顔と仮面の逆転として描く。「顔のない男」の素顔は、真っ白な仮面を付けた表情に変貌する。

 これは社会の中で自分自身の素顔を見失いがちな、現代人のための寓話なのです。「顔のない男」の連続殺人は、確かに残酷ではあるけれど、そこに恐さはまったくない。クライマックスに至っては、仮面、仮装パーティー、レーザー砲といった道具立てで、ますます「殺人事件」の生々しさは失われてしまう。この映画の中の殺人は、きわめて抽象的な出来事として描かれているのです。殺人はひとつのモチーフではあるけれど、そこに恐怖はない。ホラー映画だと思うと拍子抜けするだろう。

(原題:BRUISER)

2001年10月公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:コムストック
(上映時間:1時間40分)

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