まぶだち

2001/07/31 映画美学校試写室
20年ほど前の長野の中学生たちを主人公にした青春ドラマ。
青春期の苦しさや痛みがきちんと描けている。by K. Hattori

 『この窓は君のもの』の古厩智之監督が、仙頭武則プロデューサーのもと「J・MOVIE・WARS 5」の1作品として作った青春映画。今年のロッテルダム国際映画祭では、グランプリ相当の「タイガーアワード」と「国際批評家連盟賞」を受賞している。まぁこうした賞があろうとなかろうと、映画の価値に変わりはないけれど……。中学のクラスメイトであるサダトモ、テツヤ、周二の3人は、他の仲間ともつるんでいつも一緒に遊んでいる。他愛のないおしゃべりに興じたり、隠れて煙草を吸ったり、時には学校の帰りに万引きをしたりもする悪ガキたちだ。担任の小林はサダトモたちを「クズ」だと言う。

 監督の古厩智之が自分自身の中学時代の体験を元に脚本を書き下ろし、故郷長野県で現地オーディションした子供たちと共に作った映画。僕と古厩監督はだいたい同じような世代で、僕も20数年前には「田舎の中学生」だったので、この映画の世界観がよく理解できる。僕の通う中学に「生活記録」はなかったが、教師が生徒に1冊ずつノートを配って、やっぱり日誌みたいなものを書かせていたことを思い出す。この映画に登場する「生活記録」は、決して異常なものではないのだ。たぶん全国どの学校でも、当時は似たような制度があったのではないだろうか。今はどうなっているのかわからないけど。

 「生活記録」の存在はともかくとして、この映画に登場する小林という教師はかなり風変わりで異常だと思う。自分の考える人生観や人間観を生徒に強く押しつけて、それに見合わない生徒を厳しく責め立てる。本人は生徒の「人間らしさ」を引き出しているつもりなのだろうが、実際にはサディスティックに生徒をいじめているだけのようにも思える。僕は中学生が人間的に未熟だという小林教諭の考えには共感するし、「持ち合わせた欠点も含めて人は肯定されなければならない」という考えもわかる。でも小林教諭の頭からすっぽりと抜け落ちているのは、人間はいくら年を取ろうと経験を重ねようと、永久に未熟なままであるということだ。生徒ひとりひとりの欠点を逐一指摘する小林教諭は、彼自身も人間的な欠点を数多く持っている。彼の人格はその欠点ごと「肯定」されなければならない。しかし小林教諭本人は、はたして自分の欠点に気づいているんだろうか。おそらく気づいていまい。気づいていないからこそ、彼は生徒たちを厳しく責め立てられるのだ。生活記録に「真実を正直に書け」と言う小林教諭は、主人公サダトモが生活記録にウソばかり書いているのが気にくわない。しかしある事件が起きたとき、小林教諭はサダトモのウソによって救われる。おそらく彼はサダトモの言葉がウソであることを瞬時に見抜いただろう。だが彼はそのウソを、ウソと承知で受け入れる。そうしなければいられない時というのが、人間にはあるものなのだ。

 先日観た岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』の100倍は素晴らしい映画。ただし映画の最後にある『アメリカン・グラフティ』風の後日談は不要だと思う。

2001年晩秋公開予定 シネ・アミューズ
配給:サンセントシネマワークス 宣伝:楽舎
(上映時間:1時間39分)

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