キプールの記憶

2001/07/12 東宝第1試写室
アモス・ギタイ監督が自らの戦争体験をもとに描く異色戦争映画。
ひたすら地味で疲れるだけの戦場。これが戦争だ。by K. Hattori

 イスラエルの映画監督アモス・ギタイが、第4次中東戦争における自分自身の体験をもとに描く自伝的な作品。イスラエルは1948年の建国以来、周辺のアラブ諸国と数回の武力衝突を起こしている。建国直後に起きた第1次中東戦争(パレスチナ戦争)、'56年の第2次中東戦争(スエズ戦争)、'67年の第3次中東戦争(6日戦争)などで、イスラエルはアラブ連合軍をことごとく蹴散らし、そのたびに自国の領土を拡張していった。第4次中東戦争はこうした戦争で作られた「イスラエル不敗神話」を打ち砕くため、'73年にエジプトとシリアを中心としたアラブ連合軍がイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けたもの。序戦でアラブに押しまくられたイスラエルは終盤盛り返すものの、前の戦争で獲得したシナイ半島を手放すなど、建国以来始めて勝利なき終戦を迎えることになる。

 映画の主人公ワインローブ(ワインローブはギタイ監督の父親の旧姓)は、友人のルソと赴任地の部隊に向かう途中、ラジオで第4次中東戦争の勃発を知る。道路は大混乱で軍の指揮命令系統もパニック状態。ワインローブたちは本来配属されるはずだった部隊ではなく、戦場から負傷者を救助するヘリコプター部隊の指揮下に入る。軍医たちと共にヘリで戦場に向かい、そこから負傷兵たちを後方の病院に運ぶのが彼らの任務だ。映画はこの救出作業を、カメラの長回しを使ってしつこく追いかける。

 この映画は戦場とそこにいる兵士たちを描いた戦争映画の一種だが、派手な戦闘シーンはないし、そもそも敵兵の姿すら見えない。主人公ワインローブが出会うのは、傷つき息も絶え絶えの自軍兵士たちの姿ばかり。戦闘の真っ最中に救出に向かうわけには行かないので、彼らが向かう場所では既に戦闘が一段落付いている。戦える部隊は次の戦場に向かっているため、残っているのは死体と身動きも出来ないほど傷ついた兵士だけ。戦場に臨時に作られた救護所から負傷兵たちを担架に乗せて、ヘリとの間を何度も何度も往復する。ヘリには搭載量に制限があるため、現場では「助かりそうな負傷者」が優先される。虫の息の負傷兵については、「これはもう手遅れだ」と軍医が判断して置き去りにしてしまう。普通の戦争映画にも衛生兵や負傷兵救護のヘリは登場するけれど、それらは普通は物語の背景にいる脇役。この映画はそれを主役にして、普段はまったく日の当たらないところから戦争の実相に光を当てている。

 映画の中で印象に残るのは、ぬかるみの中で担架に負傷兵を乗せたまま身動き撮れなくなってしまう主人公たちの姿を、ワンカットで撮っている場面。これには映画を観ているこちらまで疲れ果てる。直接の戦闘とは無関係だった主人公たちが最後に攻撃を受けるところから、映画の世界は一気に空間的な広がりを見せる。他の救護ヘリも登場するし、病院内も出てくる。ここから物語を転がさず、即座に日常へと主人公を戻すのも面白い。まるで日帰り出張から戻るように、主人公は出かけたときと同じ車で恋人の待つ部屋に戻ってくるのだ。

(原題:KIPPUR)

2001年秋公開予定 シャンテ・シネ
配給:アルシネテラン

ホームページ:http://www.alcine-terran.com/

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