水曜日は大忙し!

2001/06/13 日仏学院エスパス・イマージュ
学校が休みの水曜日1日を子供と親の視点で描く群像ドラマ。
ねらいはわかるが全体に散漫な印象がしてしまう。by K. Hattori

 「ナントの勅令」で有名なナント市は、フランス西部、ロアール川の下流にある西フランス最大の都市。その町で起きるさまざまな出来事と人間模様を、子供とその親の視点から描き出す群像ドラマ。学校が休みの水曜日1日を中心に、前日火曜日のから翌木曜日までを描いている。出産間近の女性将校と警察署長の夫婦。親にはぐれた少年。船で川遊びに出た小学生4人組。麻薬中毒の母とその娘。盗癖のある女とその姉。映画にはいろいろな人たちが登場するが、中でも大きく時間が割かれているのは、離婚した妻が引き取った娘と半年ぶりに再会した父親のエピソード。ギャンブル狂の駄目オヤジを演じているのは『パパラッチ』のヴァンサン・ランドン。役者の格から見る限り、やはりこの人が主役ということになるのだろう。ただしこのエピソードも、映画全体の中心というわけではない。映画の中には幸福も不幸も、喜びも悲しみも、別れも新しい出会いも、およそ人間の生活と喜怒哀楽のすべてが存在する。

 ただしこの映画、「すべて」を描こうとしてやや焦点の甘い映画になっているという印象は免れない。中心になるエピソードを3つぐらいに絞り込んで、エピソードの相互関係の中でドラマを練っていかないと2時間7分は辛いのではなかろうか。どうも散漫な感じがしてしまうのだ。群衆劇の基本形としてグランドホテル形式があるけれど、この映画は人口25万人の大都市全体を舞台にしてその中に登場人物が散らばるため、ひとつの場所や出来事で登場人物たちをまとめ上げるという制約が生まれてこない。同じ町で起きる同じ1日のドラマだという制約は、この映画の中では有名無実になっている。すべてのエピソードにからんでくるのは警察署長なのだから、いっそ彼を主役にしてして『警察日記』風のドラマにしてしまう方法もあったと思うんだけど。

 大勢の人間が互いに無関係なまま最初から最後まで過ごすという群衆劇には『マグノリア』のような例もあるけれど、これは最後に起きる事件によって強引に全登場人物をまとめ上げてしまう。『マグノリア』の場合は、登場人物たちの「不幸」をテーマにしているという意味での縛りもあった。こうした「事件」と「心理」の制約によって、群衆劇全体をまとめるのは『ボルケーノ』や『ディープ・インパクト』のような災害パニック映画でも取られている方法。でもこの『水曜日は大忙し!』では、空から何かが落ちてくるわけでも、足下から溶岩が吹き出してくるわけでもない。描かれているのはごく普通の1日です。そこには何の制約も見られない。

 ひとつだけ制約があるとすれば、それはこの映画が「休日の子供たち」の話になっているということ。子供たちのエピソードも相互に無関係に進行するので、全体としての印象は散漫。しかしこの映画は子供たちの姿を描き出すことで、「大人もしっかりしろよ!」と言っているような気がする。それは別れた夫婦が子供のためによりを戻すというエピソードでも明らかだと思う。

(原題:MERCREDI FOLLE JOURNEE!)

2001年6月20日20:00上映 パシフィコ横浜
(第9回フランス映画祭横浜2001)

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