いのちの地球
ダイオキシンの夏

2001/06/01 TCC試写室
1976年にイタリアで起きたダイオキシン汚染事故を映画化。
絵作りは難ありだが話はなかなか面白い。by K. Hattori

 1976年、イタリアのミラノ北部にある小さな町セベソの化学工場で事故が起き、煙突から吹き出した白煙が白い粉となって町全体に降り注ぐという事件が起きた。主成分はTCPという化学物質だったが、その中には猛毒のダイオキシンも含まれていた。これはその事故の様子を、事実に基づいて描いたアニメーション映画だという。原作は児童文学者・蓮見けいの「ダイオキシンの降った街」。物語はこの事故を、町に住む子供たちの視点から語っていく。ダイオキシンの恐ろしさについて描く社会啓蒙映画という側面もあるのだが、それより僕が面白いと思ったのは、事故によって小さな町の共同体が土台から揺さぶられるという部分だった。その中で、子供たちの友情や絆が大きな試練にさらされる。こうしたドラマづくりは、この映画のプロデューサー桂荘三郎が阪神淡路大震災をテーマに描いた『地球が動いた日』に共通するものだと思う。この事故が起きたのは今から25年も前の話。しかも遠いイタリアの田舎町での出来事だ。しかしこの映画に登場する子供たちの姿が、そんな遠い出来事をすぐ身近なところまで引き寄せてくる。

 基本的には「低予算のアニメーション映画」ということになるのだと思う。この映画に、いわゆる“ジャパニメーション”の作画レベルを期待してはいけない。キャラクターデザインなども正直言って「どこがイタリア人なんだよ!」というものだし、服装や髪型、食べ物など、どこにも生活感が感じられない。せめて準備段階でもっと下取材をすればいいのに、この映画は取材不足をすべて現場スタッフの稚拙な想像力で補ってしまったような安っぽさがある。当時の写真、当時の映画など、絵作りに必要な資料はもっとふんだんに用意しておくべきだったと思うけどな。物語はともかく、この絵作りについては大いに異議がある。絵作りの密度不足が、この映画を薄っぺらにしている面が大きいと思うのだ。

 しかし物語自体は悪くないと思う。事故を描く序盤は、観客を最初から驚かせようとする演出が少々気になるし、肝心なところで転んでばかりいる日本人ジャーナリストというキャラクターも、他にもっとやりようがなかったのかと思うけど……。でもこれは小さなこと。僕が面白いと思ったのは、事故によって子供たちが大人たちの世界に急接近し、その中にある様々な欺瞞、矛盾、不正の横行などに気づいていく部分。社会的な動揺によって生活が一変し、それまでの生活を捨てなければならなくなるくだりだろう。ダイオキシンの恐ろしさ云々という話より、僕は登場人物たちが家を失う話の方が何倍も切実に感じた。市の命令で強制疎開させられていた汚染地域住民が、それでも「家に帰ろう!」と決意してバリケードを突破するシーンに、僕は思わず涙が出そうになるのだ。家はすべて出ていったときのまま保たれている。思い出の品の数々もそのままだ。でもこの家に、住人が再び戻ってくることはできない。町を立ち去る住人たちの話も、身につまされるものだった。

2001年8月18日公開予定 シネ・リーブル池袋
配給:映画「ダイオキシン」製作委員会 宣伝:シネマ・クロッキオ
ホームページ:http://www3.justnet.ne.jp/~mankaifuji/


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