今日から始まる

2001/05/22 松竹試写室
不況にあえぐ町の幼稚園で子供たちのために奮闘する園長。
幼稚園をから深刻な社会問題に迫る映画。by K. Hattori


 町の主要産業だった炭坑が閉鎖され、すっかり寂れてしまった北フランスの小さな町。それでも町民のほとんどは自分たちの生まれ育った土地を離れられず、失業と貧しさの中で明るい展望の見えない毎日を送っている。だがそんな中でも子供たちは生まれ、健やかに育っていく権利がある! 大人たちには子供たちを守り、教育していく義務がある! そんなの当たり前の話。言葉じゃ誰だってわかっていることだ。そのための法律だってちゃんとある。行政には専門の窓口もあるし、制度だって形の上ではちゃんと整っているのだ。でも町にはいつだって予算がない。景気浮揚に関係のない教育や福祉予算は、いつだって真っ先にカットされてしまうものだ。これは日本もフランスもあまり事情は変わらない。

 主人公のダニエル・ルフェーブルは、そんな町の幼稚園で園長をしている。そこで彼は否応なしに町が抱える様々な問題にぶちあたり、家庭の中で子供たちが置かれている難しい状況と向き合うことを強いられてしまう。役人との交渉も、子供たちの家庭への干渉も、本来は彼の役目ではない。でも予算不足で町の行政機構が麻痺状態になっている中では、彼が自分の手足を動かさないことには、子供たちの状態は少しも改善されない。楽をするには子供の惨状に目をつぶればいい。「しょうがない」「自分は自分の職分の中で精一杯の努力をしている」と諦めて割り切ってしまえば、ダニエルの負担は軽くなるし、町の福祉担当者にもうるさがられずに済む。でもダニエルはそれができない。今目の前で苦しく辛い目に遭っている子供を、何が何でも助けたいと思う。そう思ったら、少々周囲と軋轢があろうと突っ走るのが、ダニエルという男の性分なのだ。

 幼稚園を舞台にした映画だが、描かれているのは子供たちではなく、それを取り巻く大人たちの世界。この映画は幼稚園という場所を切り口に、子供を取り巻く様々な社会環境に深く分け入っていく。失業、貧困、親の育児拒否、アルコール依存、児童虐待、少年非行など、どの問題も一介の幼稚園園長の手には余る事柄ばかり。でもダニエルはこうした問題と取っ組み合い、思い切りジタバタする。そのジタバタは、ほとんどの場合まったく意味のない悪あがきに過ぎないからだ。だがその無様なまでの悪戦苦闘ぶりが、この映画の中では思い切り肯定的に描かれている。目の前で苦しむ人を捨て置けないと言うのが、もっとも人間らしい感情ではないか。結果としてその相手を救えなくても、それを自己満足だと批判することなんて誰にもできないよ。

 母子心中の犠牲になる女の子のエピソードが印象的。様々な原因が複合的にからまって、小さな女の子と赤ん坊は母親が下した最悪の選択の犠牲になってしまう。こうした事件を単なるメロドラマではなく、人間の不完全さが生み出した悲劇として描いているところに、この映画の誠実さが感じられる。ひとりひとりが不完全だからこそ、人間は助け合って生きるのだ。

(原題:CA COMMENCE AUJOURD'HUI)

2001年9月8日公開予定 岩波ホール
配給:共同映画
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