2001年宇宙の旅
新世紀特別版

2001/03/21 ワーナー試写室
2001年にオリジナルサイズの『2001年宇宙の旅』が再公開。
映画の価値は今の方がわかりやすいかも。by K. Hattori


 1968年に製作されたスタンリー・キューブリックの代表作。今回は「新世紀特別版」と銘打って、初公開時に70mmのシネラマ方式で上映されたのと同じ画面比率を35mmフィルムで再現している。これは通常のシネマスコープより左右が少し短くなる。音響もデジタルでリミックスされているそうだ。公開劇場はル・テアトル銀座だが、同じ場所にはかつてテアトル東京というシネラマ上映設備を持った劇場があって、『2001年宇宙の旅』のロードショー公開もここで行われたのだ。

 僕がこの映画を初めて観たのは、たぶん中学生の頃にこの映画が初めてテレビ放送されたときだと思う。その時には既にこの映画は「映画史に残るSF映画の傑作」という評価が確定していたので、僕はテレビを見ながら「ふ〜ん、そんなものか」と思っていた。その後、劇場でも2回ぐらい観ているはず。毎度印象に残るのは劇中に登場する美術の素晴らしさだ。中学生や高校生だった僕にとって21世紀はまだまだ遠い未来だったから、映画を観ながら「なるほど21世紀はこうなるのか」と胸をときめかせたものです。ところが'90年代も後半になって21世紀が射程距離内に入ってくると、この映画の未来考証はとたんに陳腐なものに思えてくる。'92年にHAL9000型コンピューターが生まれることはなかったし、宇宙開発はアポロ計画終了後はすっかり停滞して、宇宙ステーションの建設も月面基地も夢物語になってしまった。デジタルSFXの発達は、アナログSFXの最高峰であったこの映画を過去のものにした。映画初公開の時から世界中の映画ファンをとりこにした未来の風景は、陳腐で嘘臭いものになってしまったのだ。

 しかしそれだからこそ、21世紀に『2001年宇宙の旅』を観なおす意味があるのだと思う。この映画は長い間「未来はこうなる!」という事細かな描写ばかりが取りざたされ、映画を埋め尽くす美術のディテールに、人類と地球外知的生命体との接触や人間の進化といった映画本来のテーマが埋没しがちだった。21世紀を迎えたことで、我々は『2001年宇宙の旅』から「未来社会を予言したSF映画」というレッテルをようやく剥ぎ取ることができる。キューブリックやクラークが描こうとした本来の意図が、宇宙食や電子レンジやテレビ電話といった未来社会のディテールの底から、ゆっくりと浮かび上がってくる様子を見ることができるはずだ。

 もちろん映画のディテールを取りあげながら、この映画の予言が当たったかはずれたかを検討する楽しみもある。登場するテクノロジーの中でもっとも予想が外れたのは、人間と自然な会話をする人工知能と、宇宙旅行のための人口冬眠システムだろう。無重力空間の中で人間が吸着シューズを履いてわざわざ床を歩くというのも、今見るとかなり滑稽だし、コンピュータからはパンチカードが吐き出されるのには驚くし、宇宙食はどろどろのペースト状でとてもまずそうだ。でもこうした描写も、レトロフューチャーでなかなかいい味になってます。

(原題:2001: A SPACE ODYSSEY)

2001年4月7日公開予定 ル・テアトル銀座
配給:ワーナー・ブラザース映画
ホームページ:http://www.warnerjapan.com/archives/space2001/00opening.htm


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