クリスマス・イヴ

2001/03/13 GAGA試写室
雪に閉ざされた別荘で起きる連続殺人事件。
作り手の意図が空回りしている。by K. Hattori


 クリスマス・イヴのパーティーをするため、雪道をたどって山奥の別荘に集まった若者たちが、謎の殺人者にひとりまたひとりと殺されていくサスペンス映画。ギャガと東映ビデオが製作する「Digital Cinema Project」の第1弾作品で、これは映画の撮影から最終的な上映とビデオパッケージまでを、すべてデジタルで行おうというシリーズ企画で、この映画の後には『エコエコアザラク』が第2作目として控えている。しかし第1作目がこのできだと、2作目以降は観る前から不安になってしまうのだけれど……。原作は岡嶋二人の同名小説で、脚色したのは最合のぼる。監督の雑賀俊郎はドラマやOV作品の演出家だそうで、この作品が劇場映画初監督。

 ビデオカメラの機動性を生かしたさまざまなカメラアングルや、過去と現在、現実と妄想が交錯する物語の構成などに、この映画を平凡なホラー映画にはしたくないという作り手の意気込みや意欲が感じられる。しかしそうした意気込みや意欲が、まったくドラマに貢献していないというのがこの映画最大の欠点。この映画の直前に観た『ザ・コンヴェント』が観客を楽しませようとするサービス精神で低予算という制約をカバーした快作だっただけに、『クリスマス・イヴ』の観客を置き去りにした自己満足演出は気になって仕方がない。ストーリーの時制をかき乱し、エピソードの整合性を意図的に崩したりずらしたりすることで観客を混乱させようとする意図は何となくわかるのだが、そもそも観客はこの手の映画に最初からストーリーの整合性なんて求めていないのだ。

 こうしたトリッキーな構成は、犯人を探し当てることを目的としたミステリー映画では効果的かもしれない。そこでは整合性や合理性が強く求められるからだ。しかし登場人物が次々と殺され、主人公たちがそこから逃げ出すことだけを目的としたホラー映画では、犯人が誰かなんてことは二の次三の次で構わない。犯人の動機も、どのようにして犯行を行ったのかという手口も、無理や無茶やこじつけが平気でまかり通るのが、このジャンルの作品ではないだろうか。このジャンルの映画では、「登場人物たちが何の理由もわからないまま次々殺される」という不条理や不合理そのものが恐怖の対象になる。その不合理の上に時制の混乱というさらなる不合理を重ねても、恐怖の対象がぼやけるだけだ。時制を乱して観客を煙に巻くのは、映画の終盤に観客の足もとをすくう最後の手段だと思う。足もとにしっかりとした基盤があると信じているからこそ、そこで土台が揺らげば人間はビックリする。最初から足もとがぐらつく中で何を行っても、「なんでもありだなぁ」と思うだけでしょうに。

 物語がダメならせめて個々の惨殺シーンだけでもスリル満点に見せてくれればいいのに、この映画では思わずドキリとするようなショック描写もほとんどない。死体の口から突然白濁した液体があふれ出すなど、生理的な恐怖や嫌悪感に訴えるシーンが用意されているのに、それがなぜかまったく恐くも気持ち悪くもないのは疑問だ。

2001年春公開予定 シネマ・カリテ他
配給:ギャガ・コミュニケーションズ 配給協力・宣伝:リベロ
ホームページ:http://plaza5.mbn.or.jp/~bobziru/xmaseve/


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