モレク神

2001/02/22 TCC試写室
愛人エバ・ブラウンの視点から独裁者ヒトラーを描く。
監督はアレクサンドル・ソクーロフ。by K. Hattori


 ナチス時代のドイツ。霧に包まれた岩山の頂上にそびえる要塞のような山荘で、エバ・ブラウンは目を覚ます。山荘はこれから、遠いベルリンから訪れるこの山荘の主人を迎えるのだ。主人とはもちろんヒットラーのこと。エバはその愛人。ヒトラーはゲッベルスやボルマンのような取り巻きと、大勢の護衛の兵士や親衛隊員を引き連れて、この山荘でつかの間の休息をとるのだ。

 ロシアの映画監督アレクサンドル・ソクーロフの新作。数多くの映画の中で「20世紀最大の悪人」として描かれてきたアドルフ・ヒトラーを、ソクーロフは等身大の人間として描き出す。鋭利な頭脳を持つ戦略家で、カリスマ性を持った政治指導者、使用人や取り巻きには紳士的な態度を見せ、同時に冷酷非情な男。友人たちの前でくつろげば冗談を言っておどけて見せ、愛人の前では自らの身の上を嘆いてぼやいたりする中年オヤジぶりも披露する。映画の中でこんなヒトラーを観るのは、あまり例がないはずだ。たいていは記録映画を挿入したり、登場人物の台詞で総統の言葉を代弁したり、せいぜいソックリさん俳優のワンポイント出演でお茶を濁す程度。古くは『生きるべきか死ぬべきか』があり、新しいところでは『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』がある。こういうワンポイント出演では、あのちょび髭がチャプリンを連想させるせいか、どうもコミカルな役回りになる。

 ナチスとヒトラーの悪行があまりにも大きいために、ヒトラーは戦後直ちに神格化されてしまった。荒ぶり猛り狂う現代の悪魔として、神秘のベールの向こうに追いやってしまった。ヒトラーは普通の人間ではない。ヒトラーは完全に狂っている。ヒトラーの行動や心理について、あれこれ考えても仕方がない。そんなアンタッチャブルな領域にヒトラーを追いやることで、我々はどこかで安心しているのだ。しかしソクーロフはこの映画の中で、ヒトラーの前から神秘のベールを剥ぎ取ってしまう。「ヒトラーもただの人間だ」と丸裸にひんむいて観客の前に放り出す。考えてみれば我々が映画やテレビで見るヒトラーの記録映像というのは、ナチスが宣伝用に撮影していた映画からの引用なのだ。我々はそれを繰り返し見ることで、ヒトラーやナチスに対する何かしらのイメージを刷り込まれているのかもしれない。この映画を観ていて、ふとそんなことを考えてしまう。

 タイトルになっている「モレク神」というのは、旧約聖書に出てくる異教の神。ユダヤ・キリスト教は厳格な一神教だから、「異教の神=偽の神」という意味だ。だが人々はこの偽の神のために祭壇を建て、そこで自らの子供たちを生贄に捧げたという。ヒトラーは第三帝国の中で神のように振る舞った。彼の前に世界は大きな犠牲の山を築いた。だがヒトラーの神秘性など虚像なのだと、この映画を通じてソクーロフは言う。ヒトラーの神秘性やカリスマ性を支える、彼の取り巻きたちの有能さを見よ。ヒトラーがアウシュビッツの存在を知らないというシーンは、ちょっとショッキングだった。

(原題:Moloch)

2001年3月31日公開予定 ラピュタ阿佐ヶ谷
配給・問い合わせ:ラピュタ阿佐ヶ谷、スローラーナー


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