ママと娼婦

2001/01/11 TCC試写室
ジャン・ユスターシュ監督が'73年に撮った残酷な恋愛映画。
上映時間は長いけど満足感も大きい映画だ。by K. Hattori


 1973年に製作されたフランス映画。監督はジャン・ユスターシュ。モノクロ、スタンダードサイズの画面で、上映時間は3時間40分。主演はジャン=ピエール・レオー、ベルナデット・ラフォン、フランソワーズ・ルブラン。日本では'96年に劇場公開されているが、今回はユスターシュの他の作品5本と合わせての再公開だ。長い映画だけれど、その長さに見合うだけの面白さを持っている映画だと思う。少なくとも僕は楽しめた。

 ひとりの男と、ふたりの女の物語だ。ジャン=ピエール・レオー演じるアレクサンドルは、住所不定無職と言うしかない若者。今はブティックを経営する年上の女性マリーの部屋に転がり込み、ヒモのような生活をしている。それでいながら彼は昔の恋人ジルベルトに未練たっぷりで、道で待ち伏せして彼女を強引に口説いたりもする。あっさり彼女に振られると、今度はカフェで見かけたヴェロニカという看護婦をナンパする。そんなアレクサンドルの態度を知りながらも、彼を許してしまうマリー。アレクサンドルがマリーと同棲しているのを知りながら、彼と深い関係になっていくヴェロニカ。若い看護婦の彼女は多くの男たちと関係があったが、今はアレクサンドルひとりを愛し始めている。

 タイトルの『ママと娼婦』というのは、年上のマリーを子供を見守りどんな不品行も結局は許してしまう母親にたとえ、年下のヴェロニカを男なら誰とでも寝る娼婦にたとえたものだろう。男にとっては理想とされる女性像の極端なステレオタイプは2種類あり、そのひとつが母親であり、もうひとつが娼婦だ。アレクサンドルはそのふたりから愛される。なんという果報者。ベッドの中でマリーとヴェロニカのふたりを同時に抱くアレクサンドルは、男のセックス幻想を最大限実現しているのだ。普通に考えればうらやましいぞ。しかしこの三角関係は、母性と娼婦性をふたりの女が演じ始めたことで、それ自体が女性の母性や娼婦性という幻想を壊していく。目の前で母親のように振る舞っていたマリーは小娘のように気むずかしくなり、男の要求になんでも応える娼婦としてのヴェロニカは母親のようにアレクサンドルに意見し始める。母親と娼婦は確かに女性の2つのタイプではあるのだろうが、ひとりの女性がどちらかのタイプに分類されてしまうのではなく、ひとりの女の中に母親と娼婦の両方が住み着いているに過ぎないらしい。状況がひとたび変化すれば、母親は娼婦になり、娼婦は母親になる。

 映画は女たちの間を巧みに泳ぎ渡るアレクサンドルの物語として始まり、最後はマリーとヴェロニカが物語の中心になって、アレクサンドルははじき出されてしまう。アレクサンドルの突然のプロポーズは、物語から押し出されまいとする彼の必死の抵抗のようにも見える。映画には、70年代初頭のパリに漂う雰囲気が巧みに織り込まれている。しかしこの映画が今でも面白いのは、ここに描かれている男女関係が、男と女の愛や性に関する幻想が、30年後の今でも通用するからだと思う。

(原題:La maman et la putain)

2001年3月下旬公開予定 ユーロスペース
配給:ユーロスペース


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