レッド プラネット

2000/12/05 ワーナー試写室
火星の有人探査に向かった人々が見たものは……。
ドラマの盛り上がりに欠ける凡作。by K. Hattori


 地球の環境汚染と人口増によって、人類が絶滅の危機に瀕している21世紀。火星に人類を移住させる計画を進めるため、宇宙飛行士と科学者たち総勢6名が火星へと向かう。事前に火星の極冠にある氷は溶かされ、無人ロケットで運ばれた藻類も繁茂している。今回の旅は、火星の環境変化をより細かく調べるのが目的だ。ところが火星着陸直前、太陽光フレアの影響で母船は機能停止。乗組員たちは船長ひとりを残して火星へ向かう。だがそこで彼らを待っていたのは、跡形もなく大破した中継所だった。空気も水も食料も帰還方法もない赤い星の上で、彼らはただ黙って死を待つより他ないのか? 空気切れで窒息寸前の彼らは、火星大気中に呼吸に十分な空気があることを知って驚くのだが……。

 比較的細部まできちんと作ってある本格SF映画だが、盛り上がりに欠けるつまらない映画になってしまった。物語の背景を手早く説明し、宇宙飛行士たちがあっという間に火星に到着してしまう手際の良さには感心するが、これ以降、本当ならもっと粘らなければならないシーンまで妙に手際よく片づいてしまい、ハラハラドキドキすることがほとんどない。さらに物語そのものが、わざわざトラブルを求めて登場人物たちが危険の中に飛び込んでいくように見えてしまって、「なんでそんなことするの?」と思うことの連続なのだ。

 例えばなぜ彼らは、わざわざ何ヶ月もかけて火星くんだりまで出かける必要があったのだろう。高度なセンサーと解析能力を持つロボットを作る技術があるのだから、20世紀末の我々が考える以上に高度な無人探査機だって作れるはず。無人探査機がなぜ使えないのか、その理由を明確にしてほしい。太陽フレアで母船が危機に陥った際、乗組員のほとんどが火星に向かう着陸船に乗り込むのはとりあえずわかる。母船と独立した隔離スペースとして、着陸船ほど適当なものはない。しかしここで着陸船を火星に発射させたのは早計だった。結果として着陸船組は大きな危険に見舞われ、母船に残った船長は安全圏にいることになるからだ。ここは母船がもっと致命的な危険に陥っており、全員が母船を捨てて火星で別の救助隊を待つしかないということを説明しなければならない。船長は死を覚悟してひとり母船に残り、他の乗組員たちは死中に活を求めるべくして火星に向かう。

 火星に着陸した5人を襲う危機にバリエーションを持たせようとする意図はわかるが、登場人物がそれぞれ別々の危機に見舞われるため、全員が同じ危険を共有しているという連帯意識が生まれない。ケガや仲違いやロボットや線虫といった危険は、あくまでも脇のエピソード。中心にあるのは制限時間以内に母船に戻れるかという時間切れのサスペンスにあるのだから、まずはそれを徹底して前面に押し出すべきだった。この緊迫感が人間関係をギスギスしたものに変え、チームワークに亀裂を生じさせていくようにすればいい。この映画はアイデアこそ盛りだくさんだが、どれも小技ばかりなのだ。

(原題:RED PLANET)

2000年12月23日公開 渋谷東急他 全国松竹東急系
配給:ワーナー・ブラザース映画


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