夢は時をこえて
津田梅子が紡いだ絆

2000/10/23 岩波シネサロン
津田塾大学創設者・津田梅子の精神は今も生きている。
彼女を支えた女たちの友情に感動。 by K. Hattori


 『ルイズ その旅立ち』や『伝説の舞姫 崔承喜(チェスンヒ)/金梅子(キムメジャ)が追う民族の心』の藤原智子監督が、津田塾大学の創設者・津田梅子の生涯を追ったドキュメンタリー映画。津田梅子は1864年(元治元年)に幕府の通訳だった津田仙の次女として生まれ、明治4年に岩倉使節団の一行と共にアメリカに渡った。日本発の女子留学生だ。この時梅子は6歳。留学生の中でも最年少だった。5人の女子留学生の内、2名は体調を崩して早期に帰国。アメリカには山川捨松、永井繁子と梅子の3人が残った。梅子は1882年に18歳で帰国するが、生涯日本語の発音に苦労したという。

 帰国後の梅子は華族女学校の教授補として英語を教えるようになるが、女性への高等教育の必要性を痛感して1889年に再度アメリカに留学。92年に帰国した後は華族女学校と女子高等師範学校の教授をしていたが、1900年に両校を辞職して、生徒10人の女子英学塾を作った。これが後の津田塾大学になる。1984年の冬、津田塾大学の屋根裏部屋から、梅子本人が書いた大量の手紙が発見される。それは彼女がアメリカでの育ての親、ランマン夫人に宛てた数百通の手紙だった。なぜこの手紙が大学に残っていたのか? なぜ整理されることなく放置されていたのか? 映画は梅子の生涯をたどりながら、そのミステリーを少しずつ解き明かして行く。

 津田塾大学創立百周年を記念して企画された作品で、1時間32分の映画のうち、前半の1時間で津田梅子の生涯を描き、後半の30分で梅子なき後も維持される建学の精神について語るという構成。「むかしむかし、津田梅子という立派な人がいました」という偉人伝ではなく、在校生や卒業生たちの姿や言葉を通して、今も生き続けている津田梅子の精神を描こうとしている映画だと思う。最初に手紙発見という事件を紹介し、タイトルをはさんで津田梅子の生涯を語るという導入部には思わず引き込まれる。梅子のたどった足跡を当時の写真や絵をふんだんに使って紹介し、同時に同じ場所の現在の姿を対比させるという演出は、まるでカメラ自身が梅子の視線になったかのような効果を生みだしている。津田梅子が見たであろう街並みや風景が、現代のアメリカにもそのまま残されている。古ぼけた写真と現代の風景は二重写しになり、百年以上という時をこえて梅子の存在感が浮かび上がってくるようだ。

 この映画が描いているのは、梅子の周囲に濃厚に張り巡らされた女たちのネットワーク。留学仲間の捨松や繁子、育ての親とも言えるランマン夫人、親友アリス・ベーコンなどを協力を得て、女たちの手による女のための学校が日本に作られる。そのボランティア精神と友情には、感動して胸が熱くなる思いがする。こうした女たちのネットワークは、梅子の死後も一種の津田塾人脈として世界中に広がっていく。映画としては前半と後半のつながりがややぎこちないのが残念。ニューヨークにいた元教え子の話が、映画をふたつに割ってしまった。


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