太白山脈

2000/10/16 シネカノン試写室
南北朝鮮問題の根本にある朝鮮戦争の実態。
『シュリ』を観たならこれも観ろ。by K. Hattori


 朝鮮半島の緊張状態を緩和したことが評価されて、韓国の金大中大統領にノーベル平和賞が贈られることになった。そんなニュースが流れてきた矢先にこの映画を観ると、ものすごく感慨深いものがある。この映画は南北朝鮮の対立が決定的になった朝鮮戦争を、庶民の視点から描いた映画なのだ。朝鮮戦争の勃発は1950年の6月だが、半島最南端の全羅南道では、その数年前から右翼と左翼の武力対立が始まっている。原因となっているのは、日本植民地時代に作られた地主制度。朝鮮は日本の敗戦と同時に解放されるが、ソ連の管理下で早々に農地改革を実施した北に対し、米国管理下の南では改革が遅々として進まなかった。大地主たちは自分たちの財産と利権を守ろうとして小作人を圧迫し、それが貧しい農民たちの反発を招く。「共産化すれば土地の無償分配が行われる」という幻想が、貧しい人々を左翼へ肩入れさせたのだ。左翼ゲリラはこうした庶民の支持を得て、小さな町や村を武装占拠しては“解放”してゆく。

 この映画の舞台になっているのは、全羅南道にある筏橋(ポルギョ)という小さな町。左翼と右翼がひとつの町の中で対立しているこの町では、隣人や家族同士が右翼と左翼に別れて殺し合いを始める。左翼に占領された町で始まる人民裁判。地主たちは射殺され、左翼たちは土地の無償分配を農民に約束する。だが右翼の巻き返しで町から左翼が一掃されると、今度は同じ町の中で左翼シンパへの凄惨なリンチが開始される。その中心になるのは、町にたむろするゴロツキどもだ。『仁義なき戦い』に出てくるチンピラヤクザみたいな男たちが、棍棒や金槌やピストルを持って、アカともくされる人々を手当たり次第に襲っていく。密告が奨励され、警察の中では拷問が日常茶飯になる。まるで魔女狩りだ。こうした中では、人々に思想的な中立など許されない。「アカをかばう奴はアカだ」と言われる。でも町のすぐ近くには、強大な戦力を抱えた左翼ゲリラがまだ潜伏しているのだ。明日になれば、町は再び左翼の手に落ちるかもしれない。そうなれば右翼に協力した人たちは、人民に対する裏切り者として真っ先に処刑されてしまうだろう。

 この映画は、左翼ゲリラに対して同情的な描写が多い。地元の地主や役人たちと結託した右翼たちの嫌らしさ。思想などなく、ただ暴力に訴える頭の悪いゴロツキたち。それに対して、左翼たちの動機はもっと切実だし、幹部はインテリだ。山中に追い詰められたゲリラたちが「どうして北は助けてくれないのだ!」と歯ぎしりし、ついに戦争が始まったと聞いて小躍りする場面には、西部劇のクライマックスで騎兵隊が到着したときのような興奮と感動がある。だがその後に訪れる大いなる失望。北朝鮮の体制に対する強い批判が、ここには見える。

 戦争が人々の間に残した深い傷跡。最後にそれを救うのが、朝鮮の伝統的な巫女文化だというあたりは、『風の丘を越えて〜西便制』のイム・グォンテク監督ならではの落とし所かもしれない。上映時間は2時間45分。

(原題:太白山脈)


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